« EF28-300/3.5-5.6L IS | トップページ | Movie「知床の流氷」公開 »

2008年1月18日 (金)

捕鯨の是非

何やら捕鯨の是非を巡って、南極海がきな臭くなっているようですね。

20080118
クジラは大きく分けて2種類に分類されます。写真の全身骨格はハクジラ(歯鯨)の仲間で、上がツチクジラ、下がマッコウクジラです。シャチやイルカの仲間もハクジラに分類されます。

20080118b
こちらはヒゲクジラ(鬚鯨)の仲間で、上がコククジラ、下がミンククジラの全身骨格。現存する世界最大の生物で、ハーマン・メルヴィルの長編小説「白鯨」のモデルになったシロナガスクジラもヒゲクジラの仲間です。

20080118c
ヒゲクジラの仲間は、歯の代わりに写真のような「鯨鬚(別名ひげ板)」をもっており、このヒゲでオキアミや小魚を海水から濾して餌をとります。

Caplio R1 足寄動物化石博物館

日本鯨類研究所の船団が南極海にて行っている調査捕鯨に対し、英国のブラウン首相が「捕鯨は受け入れがたいほど残忍で、経済上でも必要性のない行為だ」と厳しく批判してします。批判は英国だけなく、米国や豪州などの捕鯨反対国がことごとく同様の声明を発表しています。特にホエールウォッチングが盛んな豪州では、南極大陸の一部に領有権を主張..そんなことはあり得ないが(苦笑)..するだけあって、目の前の庭先でクジラが捕殺されることに相当に怒っており、今回も政府が先頭に立って日本を非難しています。

日本政府は、調査捕鯨は日本も加盟するICRW(国際捕鯨取締条約)の条項に基づく権利であると主張し、ミンククジラ約850頭の他、ナガスクジラやザトウクジラ各50頭の捕獲を計画しているとのことです。しかしその後、日本政府は公式声明で「ザトウクジラの調査捕獲をしない」と発表しており、これをもって取りあえず事態の収拾を図ったようですが、一向に収まる気配はありません。

現在の捕鯨に関する動向は、82年の商業捕鯨モラトリアムを経て、86年より大型鯨類を対象とする商業捕鯨は全面禁止となっています。以来、日本は「漁業資源管理」を目的とした調査捕鯨を続けており、同時に「捕鯨文化の保護」を目指して商業捕鯨の再開を世界に訴えています。

日本では先史時代からすでに捕鯨が行われており、食文化と共に信仰の対象であったことが知られていますが、実は現在でも日本近海で捕鯨は行われており、IWC(国際捕鯨委員会)の管轄外であるツチクジラやゴンドウクジラなどの小型鯨類を、厳しい年間捕獲枠の中で捕獲しています。ただ、捕鯨文化と銘打ったところでそれはあくまで沿岸部、それも一部の地域に限られていたわけで、弥生時代以降の農耕文化の香り漂う現代においては、北欧のノルウェーのような国を挙げての捕鯨国とは言い難いとは思います。

日本近海ならいざ知らず、何故わざわざ南極海まで出掛けて調査捕鯨をするのかと言えば、主には前述したとおり将来の漁業資源管理の為と言うことになっています。鯨類そのものの生態調査と同時に、環境変動が与える海洋生態系への影響調査、そしてその数を増やしつつあるミンククジラなどによる漁業資源への影響..要するに漁業とクジラの捕食行動が競合している状態..を調査するようです。

日本が主張する調査捕鯨の目的が、前述のような主旨に沿ったものであるならば、傍目には通常の動物調査などと特に変わりはないように思います。では何故、反捕鯨国から痛烈な非難を浴びのか。それはクジラをパンダやホッキョクグマのような自然保護におけるフラッグシップ種として扱う欧米の反捕鯨国と、漁業資源としてみる日本を含む捕鯨国との立ち位置の違いにあります。

欧米には油を取ることだけを目的..日本は部位を余すところなく利用していた..として、南極海でナガスクジラなど大型鯨類を乱獲していたいわゆる捕鯨の暗黒時代があります。世界最大の生物であるシロナガスクジラは、その時代に生息数が激減し、今なお絶滅の可能性を残した数で推移しています。その後に石油時代が到来し、当時捕鯨国であった欧米諸国は次々と反捕鯨=クジラの保護に転じたわけです。

ちなみに南極海におけるシロナガスクジラの数が未だに回復しない原因の一つに、餌が競合するミンククジラの増加を挙げる調査結果もあるようです。それが捕鯨を正当化する理由になるかどうかは判りませんが..

現在、ICRW(国際捕鯨取締条約)によって、調査捕鯨で獲られた副産物は可能な限り有効利用することが義務づけられています。商業捕鯨が禁止であるにもかかわらず、日本国内でクジラ肉が市場に出回っているのはそのためですが、その辺りが反捕鯨国の突っ込みどころになっているのも事実で、要するに調査捕鯨を隠れ蓑にして、その実は商業捕鯨をやっているのではないかと言うことですね。

20080118d
驚く事なかれ、クジラの遠い祖先はウシやシカの仲間(偶蹄類)なんだそうで、最近ではカバに近いという説もあるとか。何れにせよ、進化の過程で何があったのかは定かではありませんが、いやはや時の流れとは凄いものですね..
Caplio R1 足寄動物化石博物館

今日の記事のそのほとんどが前置きで占められてしまうほど(苦笑)、捕鯨の話はデリートな問題であり、目に見えにくい漁業資源の推移を巡っての駆け引きや、自然保護を巡るさや当てなど、双方エゴ丸出しの非難合戦で話が拗れるのが必定。とそれはさておき、果たして当の日本国民は南極海から遠路はるばる獲ってきたクジラ肉を、捕鯨文化だと主張してまで食べたいものなのかどうか。

前述したとおり、古来より日本の沿岸部で捕鯨が行われてきたのは周知の事実で、私の世代でさえも小学校の給食でクジラ肉の料理を食べたことがありますし、本音を言えば嫌いではありません。魚好きの私としては、増えたクジラによってイワシやサンマが減って食べられなくなるのは困りますが、食べるものにも事欠いていた時代ならいざ知らず、これだけ飽食の時代にクジラまで捕って食べるのはいかがなものかと思うのもまた、偽らざる気持ちではあります。

日本国内での捕鯨の是非については、ある年齢層から意見は分かれそうですが、昨今は国内でもホエールウォッチングが脚光を浴びつつあり、クジラの扱いも漁業資源から観光資源へと変化してきているように思います。特に若い世代には、クジラは食べるものではなく見るものであると考えている人が多いのではないでしょうか。捕鯨文化を後世に伝えるという大義を掲げるだけならば、わざわざ南極海まで出張らずとも、日本近海でのクジラ漁だけで十分ではないかと思います。

20080118e
初めてザトウクジラを見たのは10年ほど前で、それは南東アラスカのフィヨルドの海でした。ボートのすぐ脇に浮上したその広い背中と大きな尾びれを見たとき、地球上にこのような巨大な生きものが生息していることへの憧憬と畏怖、そしてその生命を支える海への畏敬の念を感じずにはいられませんでした。
EOS-1V(EF28-300/3.5-5.6L IS RDP3)Glacier Bay Icy Strait

最後にもう一つ。有史以前より北極海沿岸などでクジラを獲って生活してきた民族..例えばイヌイットや海洋インディアンなど..のクジラ漁については、大量捕殺による種の絶滅とは無縁であり、それこそ現代に遺る捕鯨文化と言っても過言ではないので、これを反捕鯨の基に封じ込める..実際は捕獲制限を強いられている..のにはいささか納得しかねるものがあります。グローバル化の波とは無縁の生活を送る極地の民に、そのスピリチュアルな世界を理解できない現代人のルールを、自然保護を盾に一方的に押しつけるのは身勝手なものと言わざるを得ないでしょう。

20080118f
いにしえの昔から北極海で先住民に狩られてきたホッキョククジラ。写真はその上下顎骨。
COOLPIX5000 University of Alaska Museum

« EF28-300/3.5-5.6L IS | トップページ | Movie「知床の流氷」公開 »

コメント

またまた深くて大きい問題を掘り起こしますね(笑)
まあ、私は市井の素人なので、放言させてもらいますが、これも世論の一端を担っているわけですから、おてやわらかに(微笑)

私は、「鯨を獲らなくてすむのなら、獲るべきではない」と考えています。
捕鯨枠を許容する心の準備はありますが、原則として反捕鯨派です。
反捕鯨派は、それを謳うことによって政治経済の駆け引きに利用している側面もあるように思いますが、それはさておき、私は私なりにそういう考えをもっています。

鯨を獲らなくてはならない理由とは、なんでしょうか。

1、捕鯨による経済効果やイメージのアップ。
2、文化(伝統や祭事)としての、民族のアイデンティティ継承。
3、生態系の維持やコントロール。

つづく。


1、に関して。

捕鯨もほとんどの場合、商業(注1)ですから、プラスに転じ、それを維持することは捕鯨継続、もしくは捕鯨枠拡大を主張するにあたって必要な側面かと思います。そこで、捕鯨による経済効果の推移―――捕鯨によって、日本は毎年、どれだけ潤っているのか、――― に焦点をあてて調べてみました。

見つけられませんでした。

例えばネットで捕鯨、反捕鯨、捕鯨問題といった言葉で検索をかけると、沢山のサイトがヒットするにも関わらず、論点の核となるべき、信頼に足りそうな経済収支データがその中に浮上してこないのです。おかしいですね。たまたまなのか、それとも不利になるので隠しているのか、またはそういうデータを提示できるほど収支をモニターできていないどんぶり勘定なのか。いずれにしろ、不可解です。

2、に関して。

私が捕鯨枠を許容する準備がある、と言うのは、これを慮ってのことです。

自分のルーツを見つけられるイベントは、とても大切であり、可能な限り尊重されるべきだと考えます。

3、に関して。

情報を収集している最中、捕鯨派からのそういう意見やそれに近い意見も散見されましたので挙げておきましたが、個人的には言い訳、もしくは思い上がりではないかと思っています。大局的に見て、一番いいのは(出来ることなら、出来る限り)自然に任せることなのだと思うのです。

さらにつづく。

(注1)に関して。

日本捕鯨協会によりますと、日本が実際に商業として、堂々と行なっているのは沿岸小型捕鯨のみ。その年間捕獲枠は合計169頭。

ところが、実際の捕獲高はもっとあるようですね。定置網に「勝手に入ってしまった」クジラは一部を除く多くの種類は捕獲販売が可能です。そしてその中には、ミンク、ザトウ、マッコウも含まれます。だいたい、海は彼らの場所でもあります。棲息域、棲息深度に定置網を仕掛けておき、「勝手に入ってしまった」とは何たる言い草かと思うのです。入ったら全力を傾けて逃がしてやれ、それによる時間的、金銭的な損失は言ってみればペナルティだろう、それに懲りたなら、後はより一層の「勝手に入られない」努力をしろ、それはむしろ義務だろう、と思うのは私だけでしょうか。

うがった見方をすれば、目撃者もろくにおらず、監視も届かぬであろう海では、逆手にとられていくらでもクジラを獲ることができます。特に、魚探など機材の発達した現在では尚更でしょう。むしろ、それを期待した業者と監督側の出来レースの臭いさえしてきます。

また、調査捕鯨の名目で南極海および北西太平洋で獲っている(獲ろうと計画している)クジラの数は合計1330頭。日本捕鯨協会はこれでも調査には少ないくらいだし、トータルの鯨の生息数から言えば微々たるもの、と主張していますが。。。

突っ込みどころ満載ですな。

他にも、クマやワシと同様、生態系ピラミッドの頂点部に位置する種(indicated species)としてのクジラを見た場合の切り口などもあるかと思うのですが、すでに激長コメになっているのでこの辺で。

さようなら。

> またまた深くて大きい問題を掘り起こしますね(笑)

別に問題提起をしているわけではないですし、そもそもこんなローカルブログの怪しいネタに、よもや果敢にコメントする人などいないだろうという読みあってのネタですから(笑)。

> 私は、「鯨を獲らなくてすむのなら、獲るべきではない」と考えています。

私のスタンスも基本的には同じです。そして記事中にも記していますが、「獲る必要があるならば獲ればよい」とも考えています。

> 1、捕鯨による経済効果やイメージのアップ。
> 2、文化(伝統や祭事)としての、民族のアイデンティティ継承。

1・2については、現代の日本社会で謳うにはちと無理があると思います。いくら昔はクジラ漁していたとは言っても、さすがに我々日本人と極地の民を一緒くたには語れないですよね。

> 3、生態系の維持やコントロール。

クジラに限った話でなければ、増えすぎた一部の生きものについて、その原因が人にあるならば、間引き行為もまた致し方ないと考えています。その辺りは何れ記事に書こうと思っています。

> 私は市井の素人なので、

joshiさんのコメントを読んで、市井の素人などと思う人はいないでしょう(笑)。

>別に問題提起をしているわけではないですし、そもそもこんなローカルブログの怪しいネタに、よもや果敢にコメントする人などいないだろうという読みあってのネタですから(笑)。

はっはっはっ!果敢で失礼しました(自爆)。読みをはずさせてしまって申し訳ない。

怪しいネタかどうかはともかくとして、「お題目選択のセンス、内容の濃さ、字数、写真の数とクオリティ。。。どう考えてもフツーじゃないよな。仕事や家事が終わってリラックスしつつ、酒やコーヒー片手にチョイコメつける雰囲気か? 一体全体、Bigdipperさんは不特定多数の読者にどのような反応を期待しているんだろう? だいたい、その前に、このエントリーを全部読んで、それでもわからなくて何度も読んじゃうような奇特なヒトって、いるんだろうか(あっっ、オレか!) それとも、通常はコメ欄を使う必要のない、特定少数のお仲間用の限定ネタかな? コメ欄はオープンしてるけど、コメをつけてイイのかワルイのか?? もしかしたらコレって、ワナなんじゃ(おびえ)」などと、ほとんど狩られるクジラの心境でした。その反動かも知れません、反捕鯨派にはしってしまったのは・・・。

こんな風に、?を多用しつつ、とまどってしまったのは事実で、他の方たちはどんなコメつけるんだろう、としばらく様子を見たほどです。でも、誰もワナ?にかからないので、私がかかってみました。

おかげさまで、だいぶんわかりました。


>joshiさんのコメントを読んで、市井の素人などと思う人はいないでしょう(笑)。

そう思っていただけるとは、光栄、なのかな?よくわかりませんが。。。まあ、少なくとも、この狭いコメ欄で展開する話しではありませんよねぇ。。。率直にお聞きしますが、すこし不愉快になっていらっしゃいますか?だとすれば申し訳なかったです。以後気をつけます。

素人であろうと、今はそれこそあっという間にありとあらゆる情報収集ができるケースが爆発的に多くなりました。もちろん収集した情報の取捨選択は必要ですが、それを基にして、この程度(私が展開している程度)の論旨を述べるのには才能も、専門知識も必要ないと思いますよ。

ただ、そういった場合は自分の体験や、その体験によって得た実感から出る素直な言葉が希薄になり、他人の意見をそのままパクって集めた空論と化す場合が多々あるように思います。それに関しては、人のふりみて・・・ではありませんが、私も気をつけているつもりです。

だからこそ、実際の現場色が濃く、それを時事的に読めて、見られて、聞くことができるように発信されているこのサイトにお邪魔しているのですが、私の付け焼刃の論旨も、例えばこのブログで拝見する日々のエントリーと比べると、やはり隔たりがあります。


他に>マークで指摘していただいた部分についての回答を書いてみたのですが、お伝えするためにはやはりというか、それなりの長さになってしまいました。割愛させていただきます。

それでは、北海道行、(行くのかな?)楽しんできて下さい。ブログでのお土産ばなし、待ってます。

もともとこのネタは「命の灯のリレー」を書いているときに頭に浮かんだもの..捕鯨だけでなく他にも2・3あるので何れ記事にします..で、私の考えの中ではつながっているものです。ただ、デリケートな側面もあってやや堅い話を前置きしたので、何気にブログを読み流している人には取っつきづらいのはあるでしょうね。

> 一体全体、Bigdipperさんは不特定多数の読者にどのような反応を期待しているんだろう?

「え~、クジラを食べるなんて信じられない~!」とか「日本の大切な文化と重要な漁業資源を守るために捕鯨は絶対必要だ!」といった両極端な意見を期待したんですが、全然反応がなく寂しいです..と言うのはウソですが(笑)、まあそんな大げさな反応をするような人たちは、こんなローカルブログにアクセスなんかしてないでしょう。

> 特定少数のお仲間用の限定ネタかな?

私はネット上で仲間内でなれ合いたくはないので、ごく一部を除いて、公私共に関係者にはWebもブログもその存在を教えていません。なので敢えて特定のキーワードで検索ヒットしないようにしていますが、もうそれもそろそろ限界が来ており、すでに検索して知っている人もいるようですが(笑)。

> すこし不愉快になっていらっしゃいますか?

まったくご心配には及びませぬ。私の書く戯れ言が絶対に正しいものや真実を現しているわけでもなく、単なる私一個人の考えや思いを記しているだけなので、逆に記事を読んだ人の考えや思いはその人のものです。何より私は生物多様性を主張する者ですから(笑)。

> 素人であろうと、今はそれこそあっという間にありとあらゆる情報収集ができるケースが爆発的に多くなりました。もちろん収集した情報の取捨選択は必要ですが、それを基にして、この程度(私が展開している程度)の論旨を述べるのには才能も、専門知識も必要ないと思いますよ。

御意。まさにインターネット普及の功罪が見え隠れするご意見です。

> ただ、そういった場合は自分の体験や、その体験によって得た実感から出る素直な言葉が希薄になり、他人の意見をそのままパクって集めた空論と化す場合が多々あるように思います。それに関しては、人のふりみて・・・ではありませんが、私も気をつけているつもりです。

ある事柄を調べようとネットで検索すると、驚くほど一言一句違わない文章の多いことに驚きます。コピペ世代?とでも言うのでしょうか、検索してヒットした記事を上位から順に引用するだけで、そこには自分の考えや意見は全くないという、もうまさに検索サービス会社の思うつぼですな(苦笑)。

> だからこそ、実際の現場色が濃く、それを時事的に読めて、見られて、聞くことができるように発信されているこのサイトにお邪魔しているのですが、私の付け焼刃の論旨も、例えばこのブログで拝見する日々のエントリーと比べると、やはり隔たりがあります。

そのように言ってもらえるとうれしい限りです。大半の記事はその日のフィールドノートに過ぎませんが、ほんの少しでも自然や野生、そしてそこに関わる諸処の問題を知って、そして考えてもらえるとさらにうれしいです。

> それでは、北海道行、(行くのかな?)楽しんできて下さい。ブログでのお土産ばなし、待ってます。

渡道はもう少し先になりますが、可能な限り現地からレポ入れたい..通信環境次第ですが..と思います。

回答、ありがとうございました。

>敢えて特定のキーワードで検索ヒットしないようにしています。

私はどうやって、見つけたのかな~?

何かのはずみでカトマイのことを調べていたとき、アラスカ関連の検索をおこなっていて
The Northern Wonderer のギャラリーにヒットして、へーこんなの撮れるヒト日本人でいるんだーどんなヒトかなーとそこからたどり着いたように思います。よもやアラスカを経て上州の空っ風を感じることになろうとは夢にも思いませんでした(笑)

それではごきげんよう。

> よもやアラスカを経て上州の空っ風を感じることになろうとは夢にも思いませんでした(笑)

極北の風も乾いていますからねぇ..って、よく空っ風なんて風物をご存じで(笑)。

>例えばネットで捕鯨、反捕鯨、捕鯨問題といった言葉で検索をかけると、沢山のサイトがヒットするにも関わらず、論点の核となるべき、信頼に足りそうな経済収支データがその中に浮上してこないのです。おかしいですね。たまたまなのか、それとも不利になるので隠しているのか、またはそういうデータを提示できるほど収支をモニターできていないどんぶり勘定なのか。いずれにしろ、不可解です。

そりゃ商業捕鯨が再開されれば今と経済収支が全く変わるから当然だよ。
もしそんなもの数字で表すことができたら予言者を名乗る狂人でしかないだろ。
ただ言えるのは、調査捕鯨でランダムサンプリングという、ものすごく経費のかかるやり方を止めて、
商業捕鯨ではもっと効率のよい捕り方ができるため安くなり収支はすごく良くなるだろうね。

>私は、「鯨を獲らなくてすむのなら、獲るべきではない」と考えています。

鯨に対してだけそんな制限を加えるなら鯨食への差別だと判断せざるを得ないね。
むしろ他人が反対するなら平気で差別に同調するあなたの見識を疑う。
突っ込みどころ満載ですな。

>さすがに我々日本人と極地の民を一緒くたには語れないですよね。

http://luna.pos.to/whale/jpn_game.html

もし貴方が豊かであれば、民族はその食生活を転換出来ると安易に考えているのならば、私は北米大陸の北端にあるアラスカ州のバーロウの町を訪れることをお勧めしたい。 バーロウでは、世界でも最も枯渇の水準が心配されている鯨種である北極セミ鯨(英語で Bowheadと呼ぶ)を住民が捕獲することを IWCが許可しており、それは、これらの住民が豊かでないからではない。 いや、むしろ豊かであるからこそ、捕鯨が催事として許可されているのである。町の公共施設は完備し、住民の多くはセントラルヒーティングのある広い住宅に住む。町のスーパーマーケットには、牛肉から日本の白菜まで、あらゆる食品が揃っている。 ビデオショップには、最新のハリウッド映画のビデオが揃っており、明け方まで、暴走族めいたスノーモービルやバギーカーの騒音でゆっくりと眠る時間もない。 若者達は、私の訪問した9月の末の長い日照時間をフルにエンジョイしていた。

 バーロウで捕鯨のキャプテンの地位を保持するのは、単に人望があるだけではなく、資産が必要であると私は何度も聞かされた。 なぜならば、ここの捕鯨は原住民/生存捕鯨としてIWCが認定しており、その為には、金銀による鯨肉の取り引きが出来ないからである。

 捕鯨を続ける為には、近代化されたモーターボート(秋に氷が接岸していない時期に行う捕鯨には、非伝統的なモーターボートが必需品である)をはじめとし、ガソリン代、気象状況モニターの為に欠かす事の出来ないコンピュターや、高性能の無線機、モリ撃ちの銃、一隻に五人は要するクルーの日当、(時には、一ケ月もの日数がかかる)など莫大な経費が必要であるからである。 町は石油や天然ガスなどの資源開発に伴って、財政が豊かであり、財テクの専門家も郡役所に配置されている。 この豊かさをもって、住民は、米国本土から野性生物研究の科学者を雇用し、ワシントンには弁護士を置き、連邦政府の内務省に人権問題であると訴え、その結果枯渇した北極セミ鯨の捕獲をIWCに認めさせたのである。 IWCの科学小委員会は、今でも、この北極セミ鯨の系統群が十分な資源状態にあるという意見はもってはいない。 バーロウの町の統計には、鯨肉は住民の蛋白源のわずか8%程度であり、主食としての役割を果たしてはいないことが判る。

 アラスカ原住民捕鯨の文化人類学的意義を研究してきた学者は世界に多数いるが、彼等の多くは日本の沿岸小型捕鯨には、アラスカと同様の文化的役割が存在していると、すでに、1988年以来30余りに上る研究論文をIWCに提出してきた。

 バーロウの町の豊かさに比較すれば、日本の沿岸小型捕鯨の町、鮎川の住民の生活はモラトリアムによって、捕鯨が停止してから、決して楽なものではない。確かにバーロウよりは、暖かいかも知れないが、零下5度になる冬でも、バーロウの住宅にあるようなセントラルヒーティングのある家はないし、広大なスーパーはおろか、肉屋にもステーキなどは売っていない。鯨肉は水産品であり、かっては魚屋で売られていたが、今は魚屋の店頭を飾るものは、地先で漁獲された少々の魚だけである。捕鯨に代わる産業として、試みたサケの養殖も、北米産のサケに市場を席巻されて、あえなく失敗してしまった。若者や働き盛りの男たちは職を求めて他所の町へと出稼ぎに出てしまい、町には、老人と女、子供しか残っていない。だから、一年中夜は死んだような静寂が町を覆い、バーロウのように暴走族めいた騒ぎはない。

 公共施設の面で、鮎川がバーロウと太刀打ち出来るのは、失礼かも知れないが、前近代的なトイレ施設だけであろう。どちらも、個別のタンクでお茶をにごしている。

 それでも、鮎川の人々はミンク鯨の捕鯨がかって住民の活動の中心であったことを忘れることは出来ない。 だから、地先の沖合いでミンク鯨がとれた日に、町の病院の窓からでさえも患者たちの歓声が上がったものだと、オーストラリアからこの町の捕鯨を研究しに来ていたマンダーソン教授は語る。

 鮎川のような沿岸小型捕鯨の町の人々のために、日本政府はIWCに暫定捕獲枠50頭を毎年要求しているが、米国を中心とした環境保護団体の圧力により、受け入れられた試しがない。米国は、日本の小型捕鯨は商業捕鯨であり、アラスカやロシア、グリーンランドなどの原住民生存捕鯨と同等には扱えぬというのが理由である。 そこで、日本では、万一 IWCがミンク鯨50頭の捕獲を暫定枠として認めるならば、沿岸小型捕鯨をする市町村は鯨肉を売り買いしないで、その地域内で消費するという約束までしているのである。 豊かで、捕鯨に経済的な依存をしないですむバーロウの捕鯨者が、捕鯨を催事であるからと認められ、経済的に捕鯨に依存して暮らしてきた日本の沿岸小型捕鯨者は、ひたすら文化的理由のみの目的で捕鯨再開を望んでいる。

前半部分はjoshiさんのコメントに対するもののようなので、
特にコメントはいたしません。

後半でアラスカのバローと鮎川(宮城ですかね?)を比較論じているようですが、
ご意見が記事の内容に対するものであるならば、
もう一度記事をご覧頂ければ、論点がずれてることがお判りになると思います。

日本近海の沿岸捕鯨の是非については記事中に書いてあるとおりですし、
極地の先住民による捕鯨の是非については、
バローのアメリカナイズされた人たちだけが鯨猟をしているわけではないので、
単純に両地区の比較論だけでは済まないでしょう。

立ち位置が違えばそれこそ意見など百花繚乱であることは自明の理であり、
どちらの主張が正しいなどとは山人間たる私には判断つきかねます。

>現在、ICRW(国際捕鯨取締条約)によって、調査捕鯨で獲られた副産物は可能な限り有効利用することが義務づけられています。商業捕鯨が禁止であるにもかかわらず、日本国内でクジラ肉が市場に出回っているのはそのためですが、その辺りが反捕鯨国の突っ込みどころになっているのも事実で、要するに調査捕鯨を隠れ蓑にして、その実は商業捕鯨をやっているのではないかと言うことですね。

反捕鯨国は反対のための反対をしたいだけでしょう。
反対するための名目として「非致死的調査の代替法があるから認められない」とか主張しているがそんなのデマだとはっきりしたのだし。

http://www.e-kujira.or.jp/geiron/ohsumi/3/

>捕鯨文化を後世に伝えるという大義を掲げるだけならば、わざわざ南極海まで出張らずとも、日本近海でのクジラ漁だけで十分ではないかと思います。

日本近海だけでは需要にまるで足りないから南極海の捕鯨を目指している。
南極海では他国もアイナメ漁やオキアミ漁を行ってるのに反捕鯨派は鯨に対してだけなぜ反対するのか。
これは鯨食差別ではないのか。

>バローのアメリカナイズされた人たちだけが鯨猟をしているわけではないので、
>単純に両地区の比較論だけでは済まないでしょう。

これだけの論文が提出されてもまるで無視ですが。

アラスカ原住民捕鯨の文化人類学的意義を研究してきた学者は世界に多数いるが、彼等の多くは日本の沿岸小型捕鯨には、アラスカと同様の文化的役割が存在していると、すでに、1988年以来30余りに上る研究論文をIWCに提出してきた。

> 反捕鯨国は反対のための反対をしたいだけでしょう。

これはそうでしょうね。牛や豚、それに羊は食べて良いが、
鯨や犬は食べてはいけないという、論理破綻な思考が横行してる国々ですから。

> 日本近海だけでは需要にまるで足りないから南極海の捕鯨を目指している。

需要が足りないという事実があるかどうかはともかく、
日本が遠征するのは調査捕鯨だと主張しているわけですから、
足りないからわざわざ遠くまで獲りに行くという論法では、
それこそ反捕鯨国からの突っ込みどころ満載ですよ。

> これだけの論文が提出されてもまるで無視ですが。

何百万本の高名な学者さんの論文がどこかに提出されようとも、
それは当ブログの一介の記事には何ら関係ありません。

アリアさん。

あなたは 「コピペ」 がお好きな方だ。
それならば、私もあなたに敬意を表して、あなた流に従いましょう。

以下は、ちょうど2年半前、私がここで記したコメントの 「コピペ」 です。

------------------

今はそれこそあっという間にありとあらゆる情報収集ができるケースが爆発的に多くなりました。もちろん収集した情報の取捨選択は必要ですが、それを基にして、この程度(私が展開している程度)の論旨を述べるのには才能も、専門知識も必要ないと思いますよ。

ただ、そういった場合は自分の体験や、その体験によって得た実感から出る素直な言葉が希薄になり、 他人の意見をそのままパクって集めた空論 と化す場合が多々あるように思います。それに関しては、人のふりみて・・・ではありませんが、私も気をつけているつもりです。

だからこそ、実際の現場色が濃く、それを時事的に読めて、見られて、聞くことができるように発信されているこのサイトにお邪魔しているのですが、私の付け焼刃の論旨も、例えばこのブログで拝見する日々のエントリーと比べると、やはり隔たりがあります。

------------------

(他人の意見をそのままパクって集めた空論)
(他人の意見をそのままパクって集めた空論)
(他人の意見をそのままパクって集めた空論)

どうです?

まるで、私はあなたの出現を予期していたかのようだ(驚っ!)

>これだけの論文が提出されてもまるで無視ですが。

論文?(鼻笑)   ですが?(呆)   これだけってどれだけ?(憐笑) 

キミ、自分で 「論文」 とやらを書いたことあるのか?
それ以前に、「論文」 て、何か知ってるか?

キミみたいなやつ、オレ、いっぱい知ってるんだよ。
つまらん権威主義はやめて、自分の言葉で語りなさいな。
たとえそれが稚拙であったとしても、そっちのほうが、ここでは余程、尊重される。

反捕鯨だの、捕鯨だの、どっちでもないだの、そういう話はそれからだ。

あ、でも、これ以上管理人さんに迷惑かけたくないから、せっかく語ってもらっても、もう相手にしないと思うわ。

がんばってね。

――― 以上 ―――

すでに時事ネタでも何でもない、よもや2年以上前の記事に
「果敢な」コメントが付くとは思っていませんでしたが(苦笑)、
世の中には、たとえ恣意的であったとしても、
色々な意見の人がいるということですな。

当事者でない人たち..そうでないかもしれないが?..が、
ああでもないこうでもないと意見を交わしたところで、
大した意味も見いだせないのは判りきったことなので、
この記事のコメント欄はこれで閉じたいと思います。

この記事へのコメントは終了しました。

« EF28-300/3.5-5.6L IS | トップページ | Movie「知床の流氷」公開 »