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2008年3月 2日 (日)

Eagle Identity

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先日コメントにも書きましたが、ワシという大型の猛禽類はとかく神格化される傾向にあります。大空を自由に飛び交い、天空の高みより獲物に襲いかかるその勇猛果敢な姿から、欧米では王家の紋章などにあしらわれてきました。北米のネイティブの中には、強さの象徴とも言うべきその立派な風切羽を、祭事の折に頭部に飾る風習もあります。しかし、果たして今回紹介している道東で越冬する海ワシ達の姿に、そのような気高い崇光なイメージを感じることができるでしょうか。漁船の網からこぼれ落ちるスケソウダラをかすめ取ったり、観光船から投げられる撒き餌に群がったり、漁師が捨てていった雑魚に大挙して押し寄せたり。

もちろん、山岳域や原野でノウサギなどを狩るイ○ワシのように、海ワシ達もまた生き餌の狩りをします。カモメやカモなど水辺に憩う鳥類を中心に、キツネなどの小型のほ乳類を襲ったりもします。逆にイヌ○シでさえも、雪崩や崩落に巻き込まれ滑落死したカモシカや、ハンターが残していった残滓に付くこともあります。特に餌の確保が難しい冬季においては、人間の生産活動から発生する廃棄物や生きものの偶然の死に依存しなければ、厳しい冬を乗りきることが出来ないのもまた事実なのです。単独で生き餌を狩る孤高の姿も、集団でスカベンジャー..自然界の掃除屋..の役割担うハゲワシのような生活振りも、そのどちらもが真実であり、そして彼らのありのままの姿なのです。

かく言う無類のワシ好きを自認する私も、ワシを好きになった理由はやはりその気高い勇猛さ..早い話が格好えぇなぁって感覚(笑)..に他なりません。ワシという生きものは山奥にひっそりと暮らし、人知れずけものを襲って生活していると考えていました。子供の頃の話ですから、何も難しい事を考える余地などそこにはありません。実際、近所の山で見付けたイ○ワシもそのイメージ通りのワシでした。しかし、その後に世界中のワシの仲間を調べ、さまざまな地域に生息する彼らの生態を知るうちに、日本に越冬にやってくる海ワシ達は、意外にも人間の行う生産活動に深く依存した生活をしていることを知ります。

以来、海ワシ達の個々の生態はもとより、彼らの生活するバックボーンやエコシステム(生態系)について俄然興味がわくようになりました。彼らは何故北海道に渡ってくるのか。人間生活に深く関わる彼らの越冬生活とは一体どのようなものなのか。渡道取材を始めた十数年前こそ、海ワシの姿をどう美しくフレームに切り取るかに腐心していましたが、ブログの一連の記事でも判るとおり、近年は彼らのそれこそ「ワシらしくない」姿に拘って記録してきています。そもそも世間一般の方が一方的に抱くワシらしさとは、我々人間が忘れてしまった野生への追憶を、ワシを通して彼らにオーバーラップさせて作り上げた虚像に過ぎず、実際の彼らの生活はもっと泥臭くかつ強かなものであると考えています。

余談ですが、ワシは生態系の中ではアンブレラ種と呼ばれ、その傘の頂点に位置する生きものです。すなわちワシの生息する環境を知ることは、ワシと共に生きる生きもの..もちろん餌動物を含む..を知ることになり、結果的には生きものの多様性を深く考えることにつながるのです。ワシは典型的な他の生きものの命を奪って自らの命をつなぐことを、実に分かり易く具現化している生きものです。それ故、餌となる生きもののやその供給源..たとえ人為的なものであれ..を探ることは、まさに彼らを頂点とする生態系を知ることにもなるのです。

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最後に、以上は日本で越冬する海ワシに限った話であることを付け加えておきます。世界の辺境の地で、それこそ人間の生産活動などに頼らずとも暮らしているワシも沢山おり、それもまた彼らの実像なのです。そして恐らくはそのようにひっそりと暮らしていくことこそ、そこで暮らすワシ達自身にとってのワシらしさ、つまり「Eagle Identity」なのかもしれない..と言うやや矛盾した思いを抱きつつ、今回の取材を締めくくりたいと思います。

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