黙して語らない自然
私に影響を与えた写真家の続き。
宮崎学氏の特徴は、経験に裏打ちされた宮崎ワールドとも宮崎節とも言われる独特の自然観..人によってはかなり好き嫌いが分かれるが(苦笑)..と、撮影に至るまでのアプローチ、そしてそれを実現するための創意工夫と技術にあります。これと思った被写体には徹底した下調べを行ってデータを収集、ここぞと言ったタイムリーな時点で初めて撮影を行うのです。
「鷲と鷹(平凡社)」や「フクロウ(平凡社)」など特定の種についての作品も発表していますが、どちらかと言えば撮影対象は自然界全体のつながり、つまりエコシステムそのものとその時間軸の流れに重きを置いているので、氏のテーマの何れもが一日一夕にはなし得るものでなく、膨大な時間を必要とするものばかりです。最近ではその知見と経験を生かして、自然界と人間界との様々な接点や、その狭間で起きる問題に注力し、生きものたちのメッセージを我々に発信し始めています。「アニマル黙示録(講談社) 」「アニマルアイズ・動物の目で環境を見る(偕成社)」などがその代表作品でしょうか。
手元の「鷲と鷹」も初版本。当時日本で繁殖する鷲と鷹16種全ての生態を記録した、初のカラー版の写真集で、これまた30年近く前の発刊になります。カバーこそ外していたのでまだきれいですが、当時はデイパックに忍ばせて毎日持ち歩いていたので、中は結構ボロボロです。もうホント飽きることなく毎日眺めていましたね。今でこそ美しい猛禽類の写真集はいくつか見られますが、40年以上前の撮影機材でここまで撮れているのは、パイオニアとしてさすがとしか言いようがありません。
ちょっと余談。意外に知られていませんが、チュウヒとカンムリワシの日本での繁殖活動を最初に記録したのは、お偉い学者さんでもコンサルタントの調査員でもなく、カメラマンの宮崎学氏なのです。それまで誰もハッキリと見たことの無かった噂だけの話を、写真という視覚言語で見事に証明したのは同氏なのであり、その結果が「鷲と鷹」に現れています。
あらゆる撮影を同時並行で行うそんな氏を支えるのが、氏自身の手による多彩な自動撮影装置で、氏曰く「黙して語らない自然」を一年間365日監視・撮影する重要な助手となっています。また、ロボットカメラとも言われる自動撮影装置は、ある意味宮崎氏の代名詞とも言えるでしょう。
写真は私が生息調査で使用している自動撮影装置の一つ。
自分でシャッターを押さない撮影結果を良しとしない写真家もいるようですが、こと自然写真..特に生きものが絡んだ場合..について言えばそんなこだわりは屁の突っ張りにもならず、むしろ重要なのはいかに自然界の仕組みについて理解し、生きものの行動について知ることができるかなのです。その為にかける時間と労力は、多くの写真家のそれとはまったく異質なものなのです。自分でシャッターを押してない?とんでもない、撮影前にすでに絵コンテが出来上がっていて、全て計算し尽くされた結果なのです。これぞまさにプロフェッショナルの仕事と言うべきでしょう。
まだ20代の頃の若き日の私。重い機材を背負って山小屋に泊まり、2800m級の稜線に上がるの図。
「鷲と鷹」の最初のページに、槍ヶ岳をバックに飛ぶイ○ワシの姿があります。飽きることなく眺めていたというのはほとんどその1枚の写真で(笑)、その後はまあ結果今に至るわけですが、若かった当時、イ○ワシを探して県内各地はもとより、近県の山々にも随分と足を運びました。本来の撮影目的とは違うにしても、いつも空を、稜線を、そして谷を眺めていたように思います。今でも私を惹いて話さないのは、「鷲と鷹」のその1枚なのです。
そんな宮崎学氏とはどんな人か?それを知りたい方は、今晩放送予定のTBS情熱大陸「自然界の報道写真家・宮崎学」をご覧あれ。
コメント
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たまたま、TVのチャンネルを変えていたら、宮崎学氏の名前が目についたので、番組を途中からですが見ました。最初はその風貌から 鷲と鷹 の宮崎氏とは別人かとな・・と思ってしましました。まさに、「自然界の報道写真家」でしたね。
投稿: densuke | 2008年8月11日 (月) 10:39
別人って、そりゃ30年も経てば風貌も変わりますって(笑)。
ただ、やってることはまったく変わってないことが、
gaku先生の凄さでもありますが。
投稿: BigDipper | 2008年8月11日 (月) 22:52