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2010年3月17日 (水)

個人的環境指標

環境の自然度を計る指標の一つに、そこに見られる生きもの種類や総量を用いる場合がありますが、それには生態についてよく知られており、尚かつ生息に必要な環境についてもある程度条件付けできることが前提になります。今までは普通に見られたのに最近は見かけなくなったとか、逆に昔はいなかったのに最近よく目にするようになったとか。

過去に遡れば、里山環境の減少に伴うトキやコウノトリの絶滅、バブル期に代表される奥山での大規模リゾート開発によるイ○ワシの減少など。最近ではゴミの排出量増大に伴う都市部でのカラスの増加や、河川湖沼への無作為な放流魚によるカワウの急増、湾岸部の泥湿地埋め立てによる旅鳥の減少など、自然とその周辺の環境変化に伴う個体数の増減など枚挙にいとまはありません。

もちろん何も具体的な数字で表せなくとも、毎日見かけるとかその季節が巡ると必ずやってくるとか、科学的な論拠を求められていない限りはそういった日常的な観察結果でも構わないと思います。判りやすい一つの例として、高度経済成長期に都市部やその周辺で数を減らしたカワセミが、今は大都市の都市公園などで普通に見られたりするのも、工業廃棄物や農薬使用量の減少など、自然環境に対する人為的な圧力が減りつつあることを意味していると言えます。

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昔取った杵柄で未だにカワセミを見ると血が騒ぐが、写真としては十分食傷気味。

ちなみにカワセミが数を減らした当時は、清流の飛ぶ宝石などと言われて、自然度の高いきれいな河川にしかいないと思われていましたが、いざ都市部に戻ってきたカワセミの生態をつぶさに観察してみれば、ゴミの落ちているような小さなどぶ川で魚を捕っていたりすることもあり、案外人の欲目に躍らされていたんだなと気付きました。カワセミの場合はやはりその見た目からくる印象がそう思わせるのでしょうね。誰が見ても美人と思うような女性が、まさかゴミ屋敷のようなところに住むわけはないと思い込む、世の殿方の思いと一緒でしょうか(笑)。

話を戻しますが、環境指標生物などと言うたいそうな肩書きでなくとも、その姿や痕跡を見かけるだけでどこかホッとすると言うか、その存在が嬉しく且つ有り難い生きものというのがいるかと思います。それはその人それぞれ十人十色で良いと思いますし、住む環境や地方が異なればさらに独特の傾向が出ることになるでしょう。私の場合は天狗様と言いたいところですが、イ○ワシは流行りの生物多様性で言うところのアンブレラ種であるため、それを挙げてしまうと話はそこで片付いてしまうので、あくまで食物連鎖のピラミッドの中層から下層に位置する生きものに着目しています。

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そしてその生きものというのがノウサギです。ウサギはその昔であれば、山から恵まれる貴重なタンパク源として重宝されていました。江戸中期に野の生きものを捕獲したり殺生することを禁じられた史実、いわゆる「生類憐れみの令(俗称)」という天下の悪法発布のことは有名ですが、その当時でさえノウサギだけは秘密裏に捕食されていたことは公然とした事実..それ故にウサギを数えるのに何羽という単位を用いたとも言われる..でもあります。さらに近代以降であれば、物語で擬人化された主役であったり脇役であったり、ペットとしての扱いもあってかなり身近な存在となっているのは周知の通りです。

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牧草の陰に身を潜めて、私やり過ごそうとする夏毛のトウホクノウサギ。この後1時間以上身動きすることなくジッとしていたが、200mほど離れた位置にキツネが姿を現すと、それこそ脱兎の如く逃げていった。

が、そこまで身近な生きものでありながら、実際に野生のノウサギをマジマジ見たことがある人は案外少ないでしょう。常に捕食者に命を狙われるという持って生まれた天分?によって、その生態は著しく臆病なもので、日中は物陰でひっそり、採餌は陽が落ちてからという夜行性の一面を持っています。なので都市生活者の方がノウサギと出会うことなどあり得ようもなく、我々田舎の住人でさえ夜間にヘッドライトの前を横切ったのをチラッと見たことがある程度の人も珍しくありません。言ってしまえば、おそらく見たことがない人の方が圧倒的に多いでしょうね。かく言う私も眼視という意味では、山野で見たノウサギの数とワシがぶら下げて飛んでいた..その時点で絶命した肉塊ですが..回数とでは、どちらが多いかは微妙なところですが(笑)、クマやキツネに比べればやはり目撃回数は少ないといわざるを得ません。

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林道を歩いていると、突然道端からノウサギが飛び出してくることがあるが、これが天狗様やクマタカが林道を狩り場とする所以である。

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それが痕跡となると話は別でして、草地の草本の食痕や糞、冬の積雪地における足跡などはこれはもう日常的なものとなります。私は、ノウサギ・ヤマドリ・ヘビがその採餌量の70%を占める天狗様の棲息地を主たるフィールドとしているので、前述の食物連鎖のピラミッドの位置関係からすれば、ノウサギの痕跡が多くて当然と言えば当然と言えます。そしてこれを逆の見方、つまり餌動物側から見た場合、ノウサギが多いと言うことはそれだけ天狗様やそれに準ずる捕食者の為の生息環境の好適存在を期待できることになります。

何度も書くとおりノウサギは餌動物です。野生下で自然度の高い環境であれば、ノウサギの個体数を左右するのは捕食者の存在ということになります。しかし、そのより強さの象徴たる捕食者たちの存在さえ危ぶまれている昨今では、ノウサギの個体数増減に一番影響を及ぼすのは、ここでもまた人為的なものということに他なりません。ノウサギの食性は草本類の他、低灌木の木々や樹皮などになりますが、そういった植生が見られるのは森林に隣接した伐採地や崩落地になります。採餌環境のすぐ近くに身を潜めることの出来る森があることは重要で、林業がまだ国内産業として活況のあった時代には、山間部で定期的な森林交代..林業でいうところの全伐と植林..が行われていたので、ノウサギの数もそれなりに多かったようです。

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森に隣接する植林地。ノウサギにも捕食者にも10年程度は理想的な環境が続く。

その後国内の林業が衰退し、伐採されることなく山林が放置されるようになってからは、前述の森林交代の恩恵を受けていた生きものたちは、今度は減少に向かうこととなります。植林事業は戦後国策として拡大造林を全国一律で行ってきましたが、林業は元々地域に根ざしたものであったため、産業として下降線を辿り始めた以降は、地域によってかなり差が開くことになりました。それ故にノウサギなどその影響を受ける生きものたちの個体数の盛衰も、同様に地方によって差があることになります。ノウサギの個体数について、変わってないという地域と、いや随分減ったという地域とに、割とハッキリ分かれる理由はこんな所にあると考えられます。

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私は地元を離れて他の地域に足を踏み入れた場合でも、特に意識せずとも自然とノウサギの痕跡を探しています。そして期待通りに糞や足跡、それも真新しいものでも見つけようなら気持ちがワクワクするのです。餌動物であるノウサギの十分な存在が確認できるのなら、そこにアンブレラ種である天狗様の生息条件の一つを満たしていると言えるからで、そういった意味でノウサギは私の中の環境指標生物という位置付けになるわけです。

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コメント

個体数について言及されていますが、最近、ちょっと感じていることがあるのでここに書かせてもらいます。

ピラミッドの低層に位置する連中、例えばうさぎやねずみなどは、生殖行動が盛んですよね。まさしく「ねずみ算」式に増えるからこそ、食物連鎖の維持に貢献できているわけで。そして、その数のコントロールに密接に関係しているのが、ワシタカやキツネ等、プレデターの存在である、と。

それはわかるのです。

ところが最近、気になるのが、彼らにも少子化が訪れているのではないか?ということです。確証はないのですが、自然の中をぶらぶらしながら定期観察的に観ていると、どうもそのような気がするのです。よくわかりませんが、妊娠数/年や、産数/回、そして初期生存数、いずれかが、確実に減っていっているのではないか、と。

それが何によってもたらされているのかどうかまではわかりませんし、実際にそうなのかどうかもわかりません。また、もしそれが私の錯覚ではないとすれば、原因はなんらかの環境ストレスなのか、例えば雨や肥料、除草剤、帰化植物や地表水等に含まれる「何か」によってもたらされたホルモンバランスの変化なのか、音や異常気候などによるものなのか、そこら辺はよくわからんのですが。

Bigdipperさんは、活動なさるフィールドに棲息する彼らに対してそういうことを感じられたことはありませんか?

個々の種において数が増えた減ったの感覚的なものは感じますが、
その原因が生殖不全にあるというのは何とも言えませんね。
生きものの生殖機能に障害が起きる要因には環境ホルモンの影響が大ですが、
それを数値で表せるほどのモニタリング結果など持ってないので判りません。
それにそもそも目に見えて判るほど低層域の生物が減っているようでは、
アンブレラ種含めその上位に位置する生きものはもっと減っているはずです。

出張、おつかれさまです。
ご意見よくわかりました。

ブレインストーミングの場ではないとお見受けしますので、直感と推測に基づき、さらにそれらを重ねることになるこれ以上の言及は避けますが、個体数に関してのみならず、様々な思いが去来したエントリーでした。

「最近あまり見かけないなぁ」的な感覚も、
フィールドにおける日頃のセンサスのたまものでしょうね。
現場をつぶさに見て歩いての直感、またその感覚的なものは大事だと思います。
自然界の小さな変化を読み取れるか、感じ取れるか否かが、
その後の行動をいかに早く取れるかに掛かってくるのだと思います。

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