私自身に影響を与えた写真家と言えば、まず嶋田忠氏と宮崎学氏を挙げねばなりません。まだ写真のイロハすら知らなかった単なる動物好きの私に、鳥や猛禽類そして動物の生態写真..当時はネイチャー写真などという表現はしなかった..の素晴らしさとその撮影の面白さを教えてくれたのは、両氏の写真に他なりません。そしてその両氏の凄いところは、唯我独尊と言ってもいいオリジナルな撮影テーマと、何と言ってもその創意工夫に満ちた撮影技術にあります。
嶋田忠氏は、カワセミの捕食シーンを撮るべく、カワセミを撮影し易いよう自身の手による池に誘導、瞬間を捉えるために多灯ストロボ光による撮影技術を考案、その結果は太陽賞を受賞した同氏の写真集「カワセミ清流に翔ぶ(平凡社)」に結実しています。その後に発表された「火の鳥アカショウビン(平凡社)」「カムイの夜シマフクロウ (平凡社)」なども、ほぼ同じ技術を用いて撮影されています。
話が少し逸れますが、嶋田氏のストロボワークに影響を与えたのは、昆虫写真界の重鎮とも言うべき栗林慧氏だそうです。クリビジョンなる特殊な虫の目レンズの考案者で有名な栗林氏ですが、小さな昆虫の飛翔シーンを鮮明に捉えるべく、多灯ストロボシステムをいち早く現場に導入したのも栗林氏なのです。嶋田氏がカワセミの水中での行動を写し止めるのには、まさにもってこいのアイデアだったようですね。
「鳥の行動の瞬間にこそ生命の躍動感があり、それを的確に記録することこそ、真の生態写真である」
これが嶋田氏の信条。氏は鳥類をメインの被写体とし、そのテーマは「野生の瞬間」。思い入れのある被写体には徹底した観察と入念な下調べを行い、被写体となる鳥の行動を把握した後、カメラを握るのは全ての工程の1割程度と言った点も、同氏の特徴と言えるでしょう。とにかく徹底して、撮影対象となる生きものの行動にこだわっているのです。
手元の「カワセミ清流に翔ぶ」は初版本。もう30年近く前の写真集ですが、最初に見たときは衝撃的でしたね。まだ鳥には詳しくなかった頃の話なので、カワセミという鳥の存在自体もさることながら、どうやったらこんな風に撮ることができるのだろうかと、日夜ページをめくる度にそれはもう未知との遭遇でした。嶋田氏の表現方法は動と静の対比が実に巧みで、徹底して行動の瞬間を写すと同時に、鳥が静かに留まっている日本画的な表現も好んで使っていました。後述するビデオの撮影技法において、必要最小限のパンやチルトしかせず、一枚の写真のように見せる表現方法も、写真の世界から入った氏ならではのようです。
氏はその後スチルカメラでの表現方法に限界を感じたのか、ビデオカメラによる撮影..旧NステやNHKのハイビジョン系が多いかな..も行っており、当然のことながらその映像にもしっかり嶋田ワールドが表現されています。さらにデジカメ台頭の折、水上を走り抜けるバシリスクの撮影に代表されるように、最近では再びスチル撮影にも力を入れていると聞いています。
一応断りを入れておくと、現在は生きものへの餌付けによる撮影は問題視されているようですし、ストロボ光の照射は生きものに対して悪影響があるのではないかとも言われています。何れも氏の撮影方法の模写であることは否めませんが、節度を保った良識のある範囲で行いたいものです。特に餌付けによる撮影については賛否両論なので、現在の動物カメラマン諸氏には気になる問題でしょう。
車の免許を取ってすぐに出掛けたのは、「カワセミ清流に翔ぶ」の舞台である埼玉の高麗川。今でもあるのか判りませんが、写真は同川のドレミ橋を渡る若き日の私(遠い目)。今の巾着田からは想像もできないほど、当時は静かな田舎の川原でした。
これまたかなり古い写真で恐縮ですが、高校時代の私の部屋での1枚です。苦労してバイトで貯めた金で手に入れたキヤノンNewF-1と同300mm、それにタムロンのSP500mmが写っており、カメラ雑誌の見開きページには、若き日の嶋田忠氏の作品が掲載されています。この日は翌日山へ写真を撮りに行くべく、友人が泊まり込んでおり、結局朝まで写真のことや自然のことを語り合って、眠い目をこすりながら自転車を漕いでいた記憶があります。あの頃はそんなことばかりしていましたね(笑)。
ちなみに円卓上の、池に朝焼けが写り込んでいる写真は、私が生まれて初めて一眼レフカメラを手にして、初めて自身の手で写した写真です。キヤノンのAE-1に友人から譲り受けたタムロンのSP200mmと同テレコンバーターを装着、写真中央には葦に留まるカワセミが写っています。この1枚が今へと続く言わば始まりの1枚と言うことになります。
で、明日は宮崎学氏へと続く。