カテゴリー「写真家」の14件の記事

2011年1月 5日 (水)

猪栗

朝早くから携帯が鳴り、「クマが来ているみてぇだ」などと呼び出され、そんなバカなとKさん宅へ急行。夜半とまだ朝暗いうちの2回、隣接する栗林の中からガサガサと落ち葉をかき分ける音がして、やや離れた隣家のイヌが猛然と吠えたとのこと。すかさず家の中から懐中電灯で照らすと、黒く大きな物体が二つ、これまた隣接する杉林に逃げ込んでいくのがぼんやりと見えたようです。黒っぽいと言ってもそれは暗さも手伝ってのことで、現場を見てすぐに犯人?はイノシシだと判りました。

2枚目の写真で判ると思いますが、器用に鼻面で落ち葉をかき分けて、収穫されずに残っていた落ち栗を拾って食べていたようです。Kさんの話では2頭いたようですから、恐らく親子だったのでしょう。本来この季節の赤城高原は積雪があるため、イノシシは中棚や平場に降りてしまうのですが、今年は雪がほとんど無いため、まだ上棚に留まっていると思われます。もう畑には農作物がないので、農家の連中もイノシシが何をしようと気にしていないようですが、Kさんの慌てぶりを見る限り、昨年のクマ騒動の余波が効いているのは間違いないでしょう。

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自然史博物館で催されている「飯島正広 写真展」を見に行ってきました。この企画展では、「WILD ASIA - アジア野生王国へようこそ」と題して、飯島マサさんの真骨頂である、アジアの多彩な生きものの写真が展示してあります。昨年、品川のキヤノンギャラリーで開催された写真展の、その一部だけの展示..品川ではハイビジョン映像の放映もあった..でしたが、品川には都合で足を運べなかったので、今回の企画展は有り難かったですね。

野生動物と言えば、とかくアフリカやアラスカなどが脚光を浴びがちですが、展示された一連のアジアの生きものたちの姿を見ていると、生物多様性とはまさにこういう姿を言うのだなと実感させられます。マサさんには、アフリカ取材時にその手づるでお世話になっていたので、8日の講演会に是非行きたかったのですが、残念ですがこちらも都合で叶いません。
(上の写真は撮影可コーナーでのカットです、念のため)

2009年10月18日 (日)

足元のありふれた自然

エノコログサが朝露の中で光り輝いています。

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私が写真を始めた頃、ネイチャー写真というジャンルは、まだ今のように明確には確立されてはいなかったように思います。いわゆる風景や山岳写真、それに動物や昆虫など生きものの生態写真で、それぞれの分野でその道の先達たちが活躍しだした頃でもあります。動物写真に限って言えば、平凡社のアニマなど今となっては伝説的な自然科学写真誌もあり、たとえプロであっても、その道を目指す登竜門的な扱いをされていました。

今は各分野がネイチャーという1つのジャンルに括られ、その中に前述のようなカテゴリーが存在するようなイメージになりつつあります。ある時は風景カメラマンが動物を撮ってみたり、反対に動物カメラマンが風景写真を撮ってみたり。それはつまり、各分野の垣根が低くなったことを意味し、やや苦言を呈する意味でもの申せば、その道の専門家ではなくなりつつあるということに他なりません。もちろんプロのカメラマンや写真家..厳密には定義は違うけどここでは同じ意味で書いている..ともなれば、写真で飯を食べなければならないわけで、永らく続くこの出版不況の折り、仕事の選り好みをしていられるのは一部の人に限られますので、仕方ないと言えば仕方ない話ですけども。

話がそれましたが、早朝に近所の草地で写真を撮りながら、ふと木原和人氏のことを思い出しました。最近写真を始めた人は知らないかもしれませんが、氏はいわゆるネイチャー写真の草分け的な存在であり、今どきの写真雑誌なら普通に見られる「足元に広がるありふれた自然写真」のパイオニアと言えます。サラリーマンを続けながらアマチュア時代にフォトコンを総なめし、プロに転向したのは割と遅かったように記憶しています。生前の氏は、その作品からは思いもよらない尖った性格であったと聞き及んでいますが、NPS..ナイコンのプロサービスではない..にも所属し、さあこれからというときに、40歳と若くして他界されました。

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私は最初から望遠レンズを振り回していたので、マクロレンズの切り出す世界にはとんと縁がありませんでしたが、それでも当時、写真雑誌で木原和人氏の写真を見ると、そのミクロの世界の小宇宙的な表現には惹かれるものがありました。極地にあるような特別な原生自然でなく、身の回りのどこにでもあるごく普通の自然を、マクロレンズを駆使した巧みなカメラワークで切り取り、そこに同居する命とその命が持つ美しさを表現していました。それまであまり目を向けられることのなかった小さな自然とその写真を、ネイチャー写真の一つのジャンルとして先鞭を付けたことは、現在に至るまでに各方面から評価されています。何より、現在一線で活躍しているカメラマン諸氏の中にも、氏の目指した世界観の流れを汲む人や、氏に影響を受けた人が少なくないはずです。

2008年8月30日 (土)

遠くにある自然と身近な自然

先日、写真黎明期の私に影響を与えた写真家として、嶋田忠氏宮崎学氏を挙げました。その後ワシやクマなど個々の生きものから、命のつながりを現す生態系全体へとテーマが広がり出し、それに連れて新たに二人の写真家に興味を持つようになりました。それが星野道夫氏(故人)と今森光彦氏です。

星野道夫氏は、アラスカを主要舞台に生命とはどこから来てどこへ向かうのか、生きることは死ぬことと常に隣り合わせであるといった、スピリチュアルな写真と文章による表現者として知られています。そしてその星野道夫氏の言葉に、「遠くにある自然と身近な足下の自然」というのがあります。

遠くにある自然とは、例えば日本にいる今この時間に、遠く南東アラスカの海ではザトウクジラがブリーチングをしているのではないだろうかといった、それを想うだけで満ち足りた気持ちになれる自然のことだと言います。例えそこに足を運べずとも、想うだけで幸せになれる自然、今の私に例えるならそれがまさにアラスカでありアフリカなわけです。

対して身近な足下の自然とは、自分自身がそこに住まいそして関わる自然のことを言います。つまり日常的な生活圏の中にあり、足を運ぼうと思えばいつでも行ける場所のことなのです。図らずも高原の農村地帯に住む私にしてみれば、朝に夕に足を運ぶ近所の森がそうであり、またフィールドとする北部山域を含む利根郡など、北毛エリアがそれに当たることになります。

その身近な足下の自然にも当然のように沢山の生きものたちが溢れ、そして命のつながりとも言える生態系があり、さらにはその生態系の輪を維持するのに人さえも関わっていることを、里山という言葉でまとめ上げている写真家が、今森光彦氏になります。

昨日仕事で上京し、友人たちと夜遅くまで飲んだくれたのですが、今日はその友人と共に現在開催中の今森光彦氏の写真展を二つはしごしてきました。琵琶湖の湖西地方の里山に広がる小宇宙や、神の宿る伊勢の森の神々しい自然など、大きく引き延ばされたプリント群を久々に間近に見られ、連日デスクワークに追われて夏霞みの掛かったような脳みそに、とても刺激的なパワーを分けてもらったように思います。やはり表現手段としての写真の醍醐味は、写真展にこそあるものだと、あらためて実感した次第です。

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未来に送る美しい自然「里山」大丸東京

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神様の森「伊勢」エプサイト新宿

Caplio R6

余談ですが、今森光彦氏はデジタル全盛のこの時勢に、主にブローニーのペンタ67を使っています。67のやや縦長のアスペクト比はあまり好みではないのですが、現時点のデジタルではまず表現できないであろうフィルム独特の色の深みや濃淡、それに暮れなずむ空のグラデーションなど、銀塩写真の大伸ばしの素晴らしさを再認識すること受け合いです。ぜひ会場で間近にそのプリント群を見て欲しいですね。

2008年8月11日 (月)

親子グマ出没

昨晩のgaku先生、相変わらず宮崎節がよーく回っていましたね(笑)。歳を重ねて..49年生まれだからもうすぐ還暦ですか..尚ますます盛んなことで、あのバイタリティ溢れる思考は見習わなければなりません。こと自然相手に写真を撮る限り、まずネタに困ることはないですし、ヘタすれば生きている内に答えの出せないテーマもあるかもしれません。でもそれが楽しくてまた生きる糧にもつながるのなら、もう天職と言っても良いのでしょう。これからも自然界の刺激的な写真を見せ続けて欲しいものです。

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先日の若グマはやはりあれから姿を見せていませんが、今朝になって少し動きがありました。同じ現場に今度は親子のクマが来ていたようです。朝採りレタスは少し離れた畑に場所を移しているので、今のところはさほど人の気配も気にならないのでしょう。周囲を少し調べてみましたが、農道上の足跡は現場付近だけにしか付いてないので、防風林沿いに山から下りてきたようです。

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これは10cmにも満たない子グマの足跡。この春生まれた子グマに違いないでしょう。親の方の足跡も12cm程度しかないので、まだ若い雌のようです。

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まだまだ食べるには至りませんが、山グリは今年も良い感じで実を付けています。もろこしレストランは休業中ですが、レストラン界隈には山グリが多いので、もしかしたらその辺りもねらい目かもしれません。取りあえずもう一台の自動撮影装置を、現場近くの防風林に仕掛けようと画策しています。

GR DIGITAL

2008年8月10日 (日)

黙して語らない自然

私に影響を与えた写真家の続き。

宮崎学氏の特徴は、経験に裏打ちされた宮崎ワールドとも宮崎節とも言われる独特の自然観..人によってはかなり好き嫌いが分かれるが(苦笑)..と、撮影に至るまでのアプローチ、そしてそれを実現するための創意工夫と技術にあります。これと思った被写体には徹底した下調べを行ってデータを収集、ここぞと言ったタイムリーな時点で初めて撮影を行うのです。

「鷲と鷹(平凡社)」や「フクロウ(平凡社)」など特定の種についての作品も発表していますが、どちらかと言えば撮影対象は自然界全体のつながり、つまりエコシステムそのものとその時間軸の流れに重きを置いているので、氏のテーマの何れもが一日一夕にはなし得るものでなく、膨大な時間を必要とするものばかりです。最近ではその知見と経験を生かして、自然界と人間界との様々な接点や、その狭間で起きる問題に注力し、生きものたちのメッセージを我々に発信し始めています。「アニマル黙示録(講談社) 」「アニマルアイズ・動物の目で環境を見る(偕成社)」などがその代表作品でしょうか。

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手元の「鷲と鷹」も初版本。当時日本で繁殖する鷲と鷹16種全ての生態を記録した、初のカラー版の写真集で、これまた30年近く前の発刊になります。カバーこそ外していたのでまだきれいですが、当時はデイパックに忍ばせて毎日持ち歩いていたので、中は結構ボロボロです。もうホント飽きることなく毎日眺めていましたね。今でこそ美しい猛禽類の写真集はいくつか見られますが、40年以上前の撮影機材でここまで撮れているのは、パイオニアとしてさすがとしか言いようがありません。

ちょっと余談。意外に知られていませんが、チュウヒとカンムリワシの日本での繁殖活動を最初に記録したのは、お偉い学者さんでもコンサルタントの調査員でもなく、カメラマンの宮崎学氏なのです。それまで誰もハッキリと見たことの無かった噂だけの話を、写真という視覚言語で見事に証明したのは同氏なのであり、その結果が「鷲と鷹」に現れています。

あらゆる撮影を同時並行で行うそんな氏を支えるのが、氏自身の手による多彩な自動撮影装置で、氏曰く「黙して語らない自然」を一年間365日監視・撮影する重要な助手となっています。また、ロボットカメラとも言われる自動撮影装置は、ある意味宮崎氏の代名詞とも言えるでしょう。

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写真は私が生息調査で使用している自動撮影装置の一つ。

自分でシャッターを押さない撮影結果を良しとしない写真家もいるようですが、こと自然写真..特に生きものが絡んだ場合..について言えばそんなこだわりは屁の突っ張りにもならず、むしろ重要なのはいかに自然界の仕組みについて理解し、生きものの行動について知ることができるかなのです。その為にかける時間と労力は、多くの写真家のそれとはまったく異質なものなのです。自分でシャッターを押してない?とんでもない、撮影前にすでに絵コンテが出来上がっていて、全て計算し尽くされた結果なのです。これぞまさにプロフェッショナルの仕事と言うべきでしょう。

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まだ20代の頃の若き日の私。重い機材を背負って山小屋に泊まり、2800m級の稜線に上がるの図。

「鷲と鷹」の最初のページに、槍ヶ岳をバックに飛ぶイ○ワシの姿があります。飽きることなく眺めていたというのはほとんどその1枚の写真で(笑)、その後はまあ結果今に至るわけですが、若かった当時、イ○ワシを探して県内各地はもとより、近県の山々にも随分と足を運びました。本来の撮影目的とは違うにしても、いつも空を、稜線を、そして谷を眺めていたように思います。今でも私を惹いて話さないのは、「鷲と鷹」のその1枚なのです。

そんな宮崎学氏とはどんな人か?それを知りたい方は、今晩放送予定のTBS情熱大陸「自然界の報道写真家・宮崎学」をご覧あれ。

2008年8月 9日 (土)

野生の瞬間

私自身に影響を与えた写真家と言えば、まず嶋田忠氏と宮崎学氏を挙げねばなりません。まだ写真のイロハすら知らなかった単なる動物好きの私に、鳥や猛禽類そして動物の生態写真..当時はネイチャー写真などという表現はしなかった..の素晴らしさとその撮影の面白さを教えてくれたのは、両氏の写真に他なりません。そしてその両氏の凄いところは、唯我独尊と言ってもいいオリジナルな撮影テーマと、何と言ってもその創意工夫に満ちた撮影技術にあります。

嶋田忠氏は、カワセミの捕食シーンを撮るべく、カワセミを撮影し易いよう自身の手による池に誘導、瞬間を捉えるために多灯ストロボ光による撮影技術を考案、その結果は太陽賞を受賞した同氏の写真集「カワセミ清流に翔ぶ(平凡社)」に結実しています。その後に発表された「火の鳥アカショウビン(平凡社)」「カムイの夜シマフクロウ (平凡社)」なども、ほぼ同じ技術を用いて撮影されています。

話が少し逸れますが、嶋田氏のストロボワークに影響を与えたのは、昆虫写真界の重鎮とも言うべき栗林慧氏だそうです。クリビジョンなる特殊な虫の目レンズの考案者で有名な栗林氏ですが、小さな昆虫の飛翔シーンを鮮明に捉えるべく、多灯ストロボシステムをいち早く現場に導入したのも栗林氏なのです。嶋田氏がカワセミの水中での行動を写し止めるのには、まさにもってこいのアイデアだったようですね。

「鳥の行動の瞬間にこそ生命の躍動感があり、それを的確に記録することこそ、真の生態写真である」

これが嶋田氏の信条。氏は鳥類をメインの被写体とし、そのテーマは「野生の瞬間」。思い入れのある被写体には徹底した観察と入念な下調べを行い、被写体となる鳥の行動を把握した後、カメラを握るのは全ての工程の1割程度と言った点も、同氏の特徴と言えるでしょう。とにかく徹底して、撮影対象となる生きものの行動にこだわっているのです。

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手元の「カワセミ清流に翔ぶ」は初版本。もう30年近く前の写真集ですが、最初に見たときは衝撃的でしたね。まだ鳥には詳しくなかった頃の話なので、カワセミという鳥の存在自体もさることながら、どうやったらこんな風に撮ることができるのだろうかと、日夜ページをめくる度にそれはもう未知との遭遇でした。嶋田氏の表現方法は動と静の対比が実に巧みで、徹底して行動の瞬間を写すと同時に、鳥が静かに留まっている日本画的な表現も好んで使っていました。後述するビデオの撮影技法において、必要最小限のパンやチルトしかせず、一枚の写真のように見せる表現方法も、写真の世界から入った氏ならではのようです。

氏はその後スチルカメラでの表現方法に限界を感じたのか、ビデオカメラによる撮影..旧NステやNHKのハイビジョン系が多いかな..も行っており、当然のことながらその映像にもしっかり嶋田ワールドが表現されています。さらにデジカメ台頭の折、水上を走り抜けるバシリスクの撮影に代表されるように、最近では再びスチル撮影にも力を入れていると聞いています。

一応断りを入れておくと、現在は生きものへの餌付けによる撮影は問題視されているようですし、ストロボ光の照射は生きものに対して悪影響があるのではないかとも言われています。何れも氏の撮影方法の模写であることは否めませんが、節度を保った良識のある範囲で行いたいものです。特に餌付けによる撮影については賛否両論なので、現在の動物カメラマン諸氏には気になる問題でしょう。

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車の免許を取ってすぐに出掛けたのは、「カワセミ清流に翔ぶ」の舞台である埼玉の高麗川。今でもあるのか判りませんが、写真は同川のドレミ橋を渡る若き日の私(遠い目)。今の巾着田からは想像もできないほど、当時は静かな田舎の川原でした。

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これまたかなり古い写真で恐縮ですが、高校時代の私の部屋での1枚です。苦労してバイトで貯めた金で手に入れたキヤノンNewF-1と同300mm、それにタムロンのSP500mmが写っており、カメラ雑誌の見開きページには、若き日の嶋田忠氏の作品が掲載されています。この日は翌日山へ写真を撮りに行くべく、友人が泊まり込んでおり、結局朝まで写真のことや自然のことを語り合って、眠い目をこすりながら自転車を漕いでいた記憶があります。あの頃はそんなことばかりしていましたね(笑)。

ちなみに円卓上の、池に朝焼けが写り込んでいる写真は、私が生まれて初めて一眼レフカメラを手にして、初めて自身の手で写した写真です。キヤノンのAE-1に友人から譲り受けたタムロンのSP200mmと同テレコンバーターを装着、写真中央には葦に留まるカワセミが写っています。この1枚が今へと続く言わば始まりの1枚と言うことになります。

で、明日は宮崎学氏へと続く。

2007年9月27日 (木)

星のような物語

仕事の関係で久しぶりに上京してきました。

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出張の傍ら、昨年は足を運ぶことができなかった星野道夫氏(故人)の写真展..松屋浅草店で10/1まで開催中..を友人と見てきました。久しぶりに氏の大伸ばしの写真を間近に見ることができ、北方志向者としては極北のエネルギーをしっかり分けてもらった気がします。ただ、展示写真のレイアウトの仕方と、展示場所の狭さにはいささか疑問を感じましたが。

昨今の雑誌に見られる野生動物の写真には、メッセージのない薄っぺらい写真が増えてきているように思います。その点、極北の地ではるか昔から綿々と繰り広げられてきた生命の営みを、しっかりとフィルムに焼き付けてきた星野氏の写真には、生命とは何か、そしてどこから来てどこへ向かうのか、といったテーマの奥深さと、表現者としてのメッセージを強く感じます。

氏の写真もさることながら、今回一番興味があったのは最後に展示してあった氏のフィールドノートです。星野氏のたぐいまれなる文筆家としての才能は評価の高いもので、数々の珠玉のストーリーを残していますが、まさにその下書きとも言うべき、現場で書き綴った生々しい文章を、できうるならそのままの状態で読み解いてみたいものです。

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6月の上京の際は玉砕したバーガーキングですが、今回は労せずして食べられました。前回アラスカに行った時以来なので、ちょうど3年降りになります。たかがジャンクフードだろうとバカにしてはいけません。私にとってバーガーキング=アラスカなのですから(笑)。

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二次会は友人宅にて。DVD「星のような物語」を肴に、友人が長野で仕入れてきた「じょう献(じょうは酉と農)」をいただきました。これ一応日本酒なのですが、アルコール度数が38.5%もあり、ちょっと調べたら日本酒の中では最も度数が高いようです。飲み口もそのままだとブランデーのようで、ロックか水割りにして飲むと結構いけました。

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2007年7月16日 (月)

海中2万7000時間の旅

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高崎市美術館で開かれている中村征夫氏の写真展「海中2万7000時間の旅」を見てきました。
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水中写真の第一人者である中村征夫氏の写真展..一流どころの写真展など滅多にやって来ないので..と言うこともありますが、自分のフィールドやテーマとはまったく異なる世界の写真を見るのは、良い意味でもの凄く刺激になります。カメラマンと呼ばれる人種は、とかく自身の関連するテーマにしか興味を示さない傾向がありますが、同じ分野のマンネリ化した写真を眺めるよりも、趣の異なる世界をのぞき見ることも大切なのだと思います。そう言った視点を持つことで、新たな切り口..もしくは手掛かり..を発見したりすることもあり得るわけですから。

知り合いに何人か水中専門のカメラマンがいますが、私自身は海に潜ったことはありません。地上で撮った写真ならば大抵は撮影状況を瞬時に思い浮かべることができますが、水中写真の場合はそれが一体どんな角度でどっちの方向から撮ったものなのかとか、そういった撮影時の状況があまり頭に浮かんでこないのです。その点女房は潜水の経験があるので、写真を見れば概ねその雰囲気が判ると言いますから、やはり経験者とそうでないものとでは随分と感じ方に差があるものだと思いました。それにクジラやイルカなどの鯨類はともかく、魚や水棲生物の類に明るくないので、地上では割と重要な表現方法である季節感が判らないのが、どうにも感覚を狂わせる一因のようです。

確か中村氏は今でもフィルムをメインで撮影していたかと思いますが、展示してある作品のほとんどはカラーで、サンゴやウミウシのようなカラフルな被写体が展示を彩ります。が、最後の展示作品はモノクロだったので、鑑賞者自身がそれまでのカラフルな作品群から想像力を膨らませて自由に色を思い浮かべることができるのは、なかなか良い展示手法だなと思いました(そう言う意図ではないかもしれないので念のため)。それにネイチャー系の分野において、しかもカラフルな被写体をわざわざモノクロで表現する潔さも老練というかさすがですね。

と、写真展を見て歩くとついついカメラマンの視点で鑑賞してしまうクセがありますが(苦笑)、家人のように先入観なしの無心の境地で楽しまないといけませんね。尚、「海中2万7000時間の旅」は8月29日まで開催されます。

以下、個人的な備忘録的な記事ですが、今日の午前中にかなり強い揺れを感じました。新潟・長野を震源とした地震の余震らしく、ニュースでは県内北部は震度4とのことですが、直後のテロップでは震度5となっていました。実際、家人が言うには前回の中越地震よりもかなり強く揺れたとのことです。私は外で台風一過の雲の様子をビデオに収録していた最中でしたが、映像を再生してみるとかなり画面が揺れているのが判ります。

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モニターの上に置いてあったイ○ワシのフィギュア。モニターの裏側に落下してバラバラになっていました。この他、同じくモニター上の卓上カレンダーも落下、本棚の文庫の列が皆倒れていました。このまましばらくは余震騒ぎが続きそうですね。
GR DIGITAL F2.4 ISO71

2006年9月 4日 (月)

山わたる風

最初のページをめくると、いきなりクマの冬眠穴から外を覗いたシーンで始まります。このカットがこの本の持つ雰囲気を全て作っていると感じられる素晴らしい写真です。

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「山わたる風(柏艪舎発行)」は、北海道のバックカントリー(原野)をテーマにした写文集形式の単行本です。内容は朝日新聞北海道版に連載された同名のエッセイの再構成で、著者は北海道在住の伊藤健次氏。その名を聞いて「ああ、あの人か」と判る人は、まだそれほど多くはないでしょう。

伊藤氏は若くして日高山脈冬期単独縦走などをこなすいわゆるホンモノの山屋で、よく雑誌で目にするようなただきれいな景色を撮るだけの観光写真家とは、その経歴からして一線を画しています。また、ザックに出来る限りの食料と機材を詰め込んで、可能な限り自然の懐に踏み込んでいくというその撮影スタイルも、どこか星野道夫氏と同じような匂いを感じさせますね。写真に添えられた文章ににじみ出る微妙な味わいも、一日一夕で書けるものではないので、それすらご本人の才のうちなのでしょう。

私が伊藤氏を最初に知ったのは、私自身が渡道目的の一つとしているある生きもの棲息状況を探るべく、道内の山の状況を知るために斜里の本屋で買った山のガイド本が最初でした。その時は失礼ながら著者はただの山屋さんなんだなくらいにしか思っていなかったのですが、その後何年かしてメジャーなアウトドア雑誌に大雪のクマの写真が載ったのを見て、「日本にもこんな風にクマを撮れる人がいるんだな」と感心したのを憶えています。

日本でクマ..ここではヒグマを指しています..の写真と言えば、知床の某川でサケやマスを捕まえて食べるステレオタイプな写真が大半ですが、その時見た氏の写真のクマは、小雪の降る中静かに座っていたのです。写真は瞬間の一シーンに過ぎませんから実際はそうでないかもしれませんが、確かにその時のクマは「静かに座っている」ように見えたのです。野生動物、とりわけクマを1枚の写真に表現する時、生きものですから当然動きのあるシーンを狙いがちです。しかし、そのたった1枚で静寂からその後の冬ごもりまでを連想させた氏の写真は、なかなか感性鋭いものだと感じたものです。

伊藤氏がテーマに据えているのは北海道の原生自然ですが、北海道をテーマにした写真集を見ていて共通に感じるのは、「どこかで見た眺めだなぁ」という感覚です。自分自身がその場に立って見たことがあるというのもありますが、次々に発刊される写真集の類どれをとってもそれほど同じようなシーンばかりだというのも事実です。話は少し逸れますが、例えばあたかも世界自然遺産登録ブームに乗るかのような、知床などとタイトルに付こうものならもう言わずもがなですね。全くの私見ですが、今のところ知床をテーマにしていて本物と呼べるような内容の写真集は一冊もありません。昔から沢山の写真家が足を運びつつも、誰一人としてモノに出来ていない場所が知床なのです。

車を乗り付け道路脇に三脚を立て、目の前の美しいシーンに感動しながらそれをカメラに収める。それ自体別に悪いことではないですが、巻末や帯に踊る「自然を大切にしましょう」的な薄っぺらなメッセージには、どこか空虚感や偽善的なものを感じてしまう..私の感覚がひねくれているのもある(笑)..のです。その言葉の意味ほどに内容に重さを感じないのですね。自然を単なる風景として周りから漫然と眺めているだけでは、自然や野生が内包する本質に迫るのは難しいということです。

そう言った観光写真と伊藤氏の写真の異なる点は、自身の脚で大地を踏み歩きそこに到達した者でないと撮れないオリジナルのシーンにあります。周りからだけでなく内からの視点も大事にしていて、尚かつそれを遂行するだけの技術と体力、そしてそれらに裏打ちされた経験の豊富さ。それらを併せ持ついわゆるホンモノだけに許される世界感があるという点です。冒頭で紹介した、クマの冬眠穴を外からでなく内から撮るという視点、そして何より「地に足の着いた北海道の自然を撮りたい」と言う氏の言葉がそれを物語っていますね。

星野道夫氏以降、増産されるのは観光写真家ばかりで、なかなか表現者たるホンモノの写真家が出てきません..あくまで私見です..が、伊藤健次氏には次代の自然写真家としてその活躍に期待しております。

最後に惜しむらくは何故この本がこのサイズ(46版という文庫本よりやや大きい程度)なのかということ。出来ればもっと大きなサイズで、しっかりとした写真集として発行して欲しかったと思います。

2006年7月 2日 (日)

星野道夫という写真家

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Nikon COOLPIX5000 28mm ISO800 WB:オート

星野道夫という写真家をご存じでしょうか。動物写真家である田中光常氏の助手を経て、20代で単身アラスカに渡り、以来18年間にわたってアラスカの風景や動物、それに人々の営みを記録し続けた写真家です。86年に当時動物カメラマンの登竜門と言われたアニマ賞(第3回)を受賞、その後も木村伊兵衛写真賞の受賞、そして...なんてことは説明しなくても、私のウェブやブログをご覧の方なら既によくご存じですね。そうそう、かのナショナルジオグラフィックの巻頭を飾った、数少ない日本人写真家の一人でもあります。

残念ながら、96年夏にカムチャツカにてヒグマに襲われ急逝されましたが、写真集やエッセイ集など著作も数多く、氏の類い希なる写真や文章..そこには常に「生命とは何か」という一つの思索が現れている..そしてそのスピリチュアルな感性に魅了された人も多いのではないかと思います。かく言う北方志向を自認する私もそんな一人であります。

上の写真は、フェアバンクスにあるアラスカ州野生生物局(Alaska State of Fish & Game)に展示されているジオラマで、典型的な秋のツンドラの一シーンを表現しており、これが実は氏の有名な写真(「ムース」平凡社)を元に制作されているのです。そして氏の紹介文には次のように記されています。

WHO EPITOMIZED THE SPIRIT AND DEVOTION OF THOSE WHO GO INTO THE WILDERNESS TO SEEK A BETTER UNDERSTANDING OF THE ONES WHO ALREADY LIVE THERE.

20060702c
Nikon COOLPIX5000 28mm ISO400 WB:オート

こちらがジオラマの元になった写真が飾られている、アラスカ大学フェアバンクス校(University of Alaska Fairbanks)にある、アラスカ大学博物館(University of Alaska Museum)の展示の様子です。氏の写真はこの他にも何枚か飾られていて、それは博物館として恒久的な展示の一部になっており、先のジオラマ展示における氏の紹介文と併せて、氏の現地での高い評価がよく判るというものです。

そして今年は氏の没後10年という節目に当たり、この夏の東京を皮切りに、各地で写真展が催される予定になっています。是非近くの会場に足を運んで、大きく伸ばされた氏の名作の数々を間近にご覧ください。写真集等の出版物とは、またひと味もふた味も違ったアラスカとの出会いがあると思います。また、NHKは氏のアラスカでの足跡を辿ったハイビジョン番組を、同BSハイビジョンで放送する予定です。こちらもどんな映像が見られるのか、今から楽しみであります。
http://www.nhk-p.co.jp/event/hoshino/bsprogram/index.html

星野道夫公式サイトはこちら↓
http://www.michio-hoshino.com/

余談ですが、公式サイトのトップの写真..変わってなければジリスの写真(「アラスカ極北生命の地図」朝日新聞社)の筈です..は、本館にアップした私の「ツンドラローズ」と同じ場所で撮影されています。別にその場所を知っていたわけではなく、いわゆる偶然なのですが、広いアラスカと言えどまあそういうこともあると言うことです(笑)。

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