カテゴリー「山」の115件の記事

2012年6月23日 (土)

一万尺遠望

梅雨の晴れ間に裏山の最高峰(1828m)へ山歩き。取材対象が一般の勤め人の方だったため、必然的に週末が撮影日に。こちらはフリーランスなので、基本的に休日も何もなく..仕事と趣味の境目が曖昧なので(笑)..まったく問題なし。それより内容が山歩きだし、何よりロケ地が家の近くなんだからお前が行けという話になり、ライターと一緒に久々に裏山へ登ってきました。

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つい先日まで、ドロドロした南国の竹林を歩き回っていたのが嘘のような、この季節にしては珍しくさわやかで、ヘイズのない透明度高い視界が得られ、はるか遠くまで遠望が利きました。八ヶ岳や南アはもちろん、約140km離れた北アまで眺望でき、その主峰である槍ヶ岳も肉眼で目視。さすがに双眼鏡を持ってしても、小槍の上でアルペン踊りをしている人までは見えませんでしたが(笑)。


2012年4月22日 (日)

日本にも氷河

昨秋、立山連邦の一つ剱岳の三ノ窓雪渓の一部が、厚さ30mにわたって年に4mほど下方に移動していることが判明。国内で初めて氷河として認められ、来月に日本雪氷学会にて論文発表されます。

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懐かしい若き日の変なのが写り込んでいますが(苦笑)、写真は記事の舞台である立山連峰の一角です。

神の山、神の鳥

雪や氷など万年雪が溶けることなく圧縮され、複数年にわたってほぼ恒久的にその状態を維持し、尚且つ重力による自然移動など流動的な状態のいわゆる氷の塊を指す、というのが氷河の定義になるようです。

氷河期だった1万2000年前頃には国内にも氷河は存在しており、その名残が日本アルプスや北海道の大雪山系にカール地形として名残を刻んでいますが、間氷期で温帯に区分される現在の日本に氷河はないとされる意見が大勢でした。それでも戦前、立山周辺に氷河が存在するいう説を唱えた学者が京大にいたそうです。ただ、現地は専門的な登山家でも近づくのは難しい..明治期、剱岳を含む立山一帯は、一等三角点の設置に最後まで苦しんだ山塊で有名..上に、そもそも堆積した氷の層が流動していることを測る装置が無かったため、今日まで真偽の程が棚上げされてきた経緯があるようです。

ヘリなど航空機が発達している現代なら、空から見てすぐ判りそうなものですが、前述のとおり氷河は流れていることが条件の一つなので、夏でも溶けない雪渓があったとしてもそれは万年雪でしかありません。それが近年、携帯性に優れたアイスレーダー(氷の厚さを測る装置)やGPS装置(移動していることを測定する)などが開発されたため、今回の発見..先達の苦労をしのべば「認定」が正しいのかな..となりました。

先に日本は温帯に区分とは書きましたが、積雪の基本となる降水量は偏西風の影響もあって非常に多く、3000m級の山塊を擁する本州中央高地の積雪量は世界有数です。よく北海道は雪が多いと思われがちですが、単純な年間累計では本州のほうがより多雪です。以外に知られていませんが、滋賀県と岐阜県の県境に位置する伊吹山山頂で戦前に観測された11.83mが、90年経った今でもギネス記録として残っています。

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日本と同じように年間降水量の多い南東アラスカは、極地に近い緯度の関係で数多くの氷河が見られる。4000m級の頂にある氷河も、いずれは海に帰る時が来る。

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氷河はその自身の膨大な重さで少しずつ高きから低きへ移動する。それが氷の河、つまり「氷河」の名を表わしている。

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氷河が海に流れ込むまさにその河口。横縞は永い年月が生んだ積雪の圧雪状態を現しており、縦縞は下流域で谷が狭くなって急激に横方向から圧力が加わったためにできたひび割れである。

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突然静寂を破り、轟音とともに氷の壁が崩れ落ちる。気の遠くなる年月を旅してきた氷が、あらゆる水分の源である海へ帰る瞬間。この後、船が大きく揺れることとなる。

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氷河に近づくと、Glacier Blueと呼ばれる何とも不可思議な青さが眼を引く。冷蔵庫の製氷室などで作られる氷は、空気が多く混ざっているため気泡が多く、可視光線のほとんどが反射して白っぽく見える。その点、氷河の氷は長い年月をかけてその自身の重さで圧縮されているため、密度が高く空気が含まれておらず、それ故に波長の長い赤は吸収されてしまい、波長の短い青が反射して見える。これは海の色が青いのと似た理由だ。

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アラスカの中央高地にあるポリクロームパス。そこから望む眼下に広がる地形は、はるか昔に氷河が削った通り道。氷河期も終わり氷河はアラスカ山脈まで後退しているため、今は氷河を源とする冷たい流れを望むことになる。

日本初確認の氷河。可能であればいつか見に行ってみたいものです。南海の珊瑚礁から流氷浮かぶ北の海、そして氷河戴く高地まで、つくづく日本列島は多種多様な気候と自然環境に囲まれているんだなと感慨深いですね。

2012年1月 6日 (金)

谷川ロケハン

倅たちを玉原に送っていった後、若者たちと一緒にスキーなどする体力のない親父は、迎えまでの時間に冬の谷川岳撮影のためのロケハンで雪道グルグル。みなかみ町の近郊で、オキトマからマナイタグラまでスッキリ望めるポイントは少なく、しかも意外に知られていない。が、そんな時こそ、利根沼田のビューポイントを知り尽くした我が映像工房にご用命を。的確にキッチリ映し止めてお届けします(宣伝)。

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ここのポイントは川棚ノ頭まで見ることができ、ロケーションとしては十分。今日のうちに撮影できてしまえばそれにこしたことはないものの、要求はあくまでモルゲンロートなので、本撮はまた後日。

2011年11月13日 (日)

ユニークな山容

みちのく藪漕ぎ踏査で疲弊した老体にむち打って、朝も早よから山歩き。東北のなだらかな山容とは異なり、実にユニークな山並みが広がる西上州。遠く荒波打つかのようなスカイラインは、我が青春のカイラス妙義山です。

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帰りは久しぶりに神津牧場へ立ち寄り、上州銘品の1つであるジャージー牛乳のソフトクリームを頂きました。北海道に移住した友人をして道内でこれに勝るもの無しと言わしめた逸品。相変わらず美味いですねぇ。

2011年10月29日 (土)

上越国境空中散歩

谷川連峰と呼ばれる上越国境沿いの山々ですが、意外にもオーバー2000m級の山座は一つしかありません。それが主稜線の西端に位置する同連峰の最高峰である仙ノ倉山で、標高は約2062mになります。ちなみに主峰の谷川岳は約1977mで、通称はオキノ耳トマノ耳と呼ばれています。で、週末の絶好の登山日和となった今日は、その仙ノ倉山へ久しぶりに空中散歩に出掛けてきました。

澄み切った秋の空気の中、南側はエビス大黒ノ頭から赤谷渓谷を見通して、日光白根山、皇海山、赤城山(当然我が赤城高原も)など上毛三山に浅間山、遠くは八ヶ岳から富士山まで遠望が利き、北側は尾瀬の燧ヶ岳、至仏山、平ヶ岳、それに八海山など越後三山に苗場山など、おおよそ名峰と呼ばれる越後の峰々も望めました。上州武尊山辺りは仙ノ倉山より標高は高いですが、立地的に武尊は周囲を他の山塊に囲まれているため、パノラマ眺望という意味ではやはり仙ノ倉山など上越国境の山々には適いませんね。

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今流行りである山ガールのカラフルな出で立ちに目を奪われつつも、昼飯の前後にじっくりと周囲の山座と下界を交互に眺めていましたが、家人のいい加減にしろ光線に促されるように、後ろ髪引かれる思いで下山してきました。それほど今日の眺めは素晴らしかったと言うことに尽きます。

2011年10月 4日 (火)

仙ノ倉冠雪

仙ノ倉山(写真上)が冠雪しました。私は気が付きませんでしたが、家人によれば昨日の夕方には白かったらしいので、午後遅くに冠雪したようです。今朝は苗場山(写真下)も雪化粧をまとい、秋半ば青山白きかなといった風情です。

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2011年9月15日 (木)

上州武尊山

伝説の皇子、ヤマトタケル(日本武尊)像を山頂に抱く、利根きっての名峰である上州武尊山。山名はヤマトタケルが東征した際に立ち寄った云々の伝承から、まさにその武尊を取って付けられたとされています。山系は沖武尊(最高峰)や前武尊、それに剣ヶ峰山など八つの峰から形成されており、その各峰々に取り囲まれるよう南側中央に太古の爆裂火口の名残と言われている川場谷があります。標高は2158m(沖武尊)でオーバー2000mですが、周辺の山系から独立した位置に鎮座ましましているためか、何れの国立公園的な指定からも外れている珍しい山でもあります。ちなみに我が家から最も近い森林限界を超える2000m級の山でもあります。

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帰省している倅が寝しなに明日は武尊に登る..山田昇杯の話をしていて突然..と言い出せば、先月穂高で名誉ある?撤退を余儀なくされたことをブーブー言っている家人も、武尊と聞いてそれに追従。納期が迫っている身としては判断は厳しかった(苦笑)のですが、沖武尊の日本武尊像を見たのは早20数年前のこと。急に懐かしさに駆られてうかつにも同行してきてしまいました..

2011年8月18日 (木)

雨天ケッコウ

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天狗様を見に山に登ることはあっても、ピークを目指すような登山趣味はありません。ところが、「岳」を観てから妙にアルパインづいている家人の強い意向で、元山岳部の倅を引率者とする穂高縦走に巻き込まれてしまいました(苦笑)。が、下界のまあまあの天気をよそに、折しも南下中の秋雨前線の影響で2000mから上は雨模様。しかもハイマツ帯の稜線部は時折突風が吹き付ける荒天となってしまい、視界不良でとても西穂高から先のガレ場のやせ尾根を踏破できそうにないので、やむなく西穂独標で撤退してきました。下山中も雨が弱まる傾向になく、久々の雨中漫歩となってしまい、全身ずぶ濡れで雨はもうケッコウってな感じです。

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しょうがねぇんで西穂山荘で噂のラーメン食ってきました。これといって特別なものではない普通のラーメンですが、ああいうシチュエーションで食うと評価は高いんでしょうなぁ..

そういえば、下山中に岐阜県警の山岳遭難救助隊のご一行とすれ違いました。下で聞いた話では、早朝に西穂のピラミッドピーク付近で滑落事故があったらしく、ヘリも慌ただしく飛んでいくのが見えました。雨でしかも風が強く、浮き石に足を滑らせての事故だったようで、登山のベテランでも危うい状況だったようです。にわか登山隊ではそれこそどうなったものか、くわばらくわばら..

2011年2月 2日 (水)

久々好天

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山が雪で..と嘆いていたら、今日は朝からどーんと晴れました。外気温も放射冷却の影響で氷点下13℃。久しぶりの谷川モルゲンロートですね。

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左からサル(お昼前)、私、そしてキツネかタヌキなどイヌ科(おそらく数日前)の歩行痕。

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密生する冬毛に全身を覆われたサルですが、顔、尻、そして手足の掌には毛が生えていません。なので雪の上に手を着いて歩く時は、手の甲を下にしている時があります。野に生きるものとはいっても、やはり冷たいものは冷たいのでしょうね。

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積雪地帯の定点でまず最初に行う作業は足場ならし。自分の立ち位置を目検討で計って後、半径約2mほどの範囲を外から内に向かってバフバフと、スノーシューで踏みならしていきます。これが新雪が深いと結構難儀な作業で、登りの後だとさらに汗だくだくになってしまいます。踏み付けが甘いと機材を載せた三脚が勝手に沈み込んでしまうので、まあ最初が肝心と言ったところでしょうか。

2011年1月 8日 (土)

深山

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寒波の影響で氷点下の朝が続きます。今朝は八ヶ岳が赤く染まりました。

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犬連れの上に藪の中をチョロチョロと逃げて行くので、何ともしょぼい写真ですが、久しぶりにミヤマホオジロに出会いました。薄暗くISO感度を3200まで上げての撮影でしたが、特徴であるレモンイエローがよく目立ちますね。

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今日は子供会のどんど焼きの日。暦の上ではまだ正月は終わっていませんが、消防の関係で前倒しとなりました。しばらく続いた冬型も弱まり、今日は風も弱かったので、絶好の焼き日和でしたね。

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