カテゴリー「アラスカ」の15件の記事

2012年4月22日 (日)

日本にも氷河

昨秋、立山連邦の一つ剱岳の三ノ窓雪渓の一部が、厚さ30mにわたって年に4mほど下方に移動していることが判明。国内で初めて氷河として認められ、来月に日本雪氷学会にて論文発表されます。

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懐かしい若き日の変なのが写り込んでいますが(苦笑)、写真は記事の舞台である立山連峰の一角です。

神の山、神の鳥

雪や氷など万年雪が溶けることなく圧縮され、複数年にわたってほぼ恒久的にその状態を維持し、尚且つ重力による自然移動など流動的な状態のいわゆる氷の塊を指す、というのが氷河の定義になるようです。

氷河期だった1万2000年前頃には国内にも氷河は存在しており、その名残が日本アルプスや北海道の大雪山系にカール地形として名残を刻んでいますが、間氷期で温帯に区分される現在の日本に氷河はないとされる意見が大勢でした。それでも戦前、立山周辺に氷河が存在するいう説を唱えた学者が京大にいたそうです。ただ、現地は専門的な登山家でも近づくのは難しい..明治期、剱岳を含む立山一帯は、一等三角点の設置に最後まで苦しんだ山塊で有名..上に、そもそも堆積した氷の層が流動していることを測る装置が無かったため、今日まで真偽の程が棚上げされてきた経緯があるようです。

ヘリなど航空機が発達している現代なら、空から見てすぐ判りそうなものですが、前述のとおり氷河は流れていることが条件の一つなので、夏でも溶けない雪渓があったとしてもそれは万年雪でしかありません。それが近年、携帯性に優れたアイスレーダー(氷の厚さを測る装置)やGPS装置(移動していることを測定する)などが開発されたため、今回の発見..先達の苦労をしのべば「認定」が正しいのかな..となりました。

先に日本は温帯に区分とは書きましたが、積雪の基本となる降水量は偏西風の影響もあって非常に多く、3000m級の山塊を擁する本州中央高地の積雪量は世界有数です。よく北海道は雪が多いと思われがちですが、単純な年間累計では本州のほうがより多雪です。以外に知られていませんが、滋賀県と岐阜県の県境に位置する伊吹山山頂で戦前に観測された11.83mが、90年経った今でもギネス記録として残っています。

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日本と同じように年間降水量の多い南東アラスカは、極地に近い緯度の関係で数多くの氷河が見られる。4000m級の頂にある氷河も、いずれは海に帰る時が来る。

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氷河はその自身の膨大な重さで少しずつ高きから低きへ移動する。それが氷の河、つまり「氷河」の名を表わしている。

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氷河が海に流れ込むまさにその河口。横縞は永い年月が生んだ積雪の圧雪状態を現しており、縦縞は下流域で谷が狭くなって急激に横方向から圧力が加わったためにできたひび割れである。

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突然静寂を破り、轟音とともに氷の壁が崩れ落ちる。気の遠くなる年月を旅してきた氷が、あらゆる水分の源である海へ帰る瞬間。この後、船が大きく揺れることとなる。

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氷河に近づくと、Glacier Blueと呼ばれる何とも不可思議な青さが眼を引く。冷蔵庫の製氷室などで作られる氷は、空気が多く混ざっているため気泡が多く、可視光線のほとんどが反射して白っぽく見える。その点、氷河の氷は長い年月をかけてその自身の重さで圧縮されているため、密度が高く空気が含まれておらず、それ故に波長の長い赤は吸収されてしまい、波長の短い青が反射して見える。これは海の色が青いのと似た理由だ。

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アラスカの中央高地にあるポリクロームパス。そこから望む眼下に広がる地形は、はるか昔に氷河が削った通り道。氷河期も終わり氷河はアラスカ山脈まで後退しているため、今は氷河を源とする冷たい流れを望むことになる。

日本初確認の氷河。可能であればいつか見に行ってみたいものです。南海の珊瑚礁から流氷浮かぶ北の海、そして氷河戴く高地まで、つくづく日本列島は多種多様な気候と自然環境に囲まれているんだなと感慨深いですね。

2009年11月19日 (木)

疑似デナリ

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うら若き女性の悲鳴の如き叫び..ラッティングコールという誇示行動..とともに、体躯の大きな牡ジカが道端に姿を見せました。反対側の法面には牝ジカが3頭ほどたむろしています。バスの運転手も心得たもので、少し手前で停車して待つこと3分。牡ジカはその緊張した面持ちとは裏腹に、バタバタとしたコミカルな足取りでバスの前を横切ると、上唇をめくり上げながら..牝の発情を確認するフレーメンという仕草..逃げていく牝ジカの後を追いかけて行きました。そろそろシカたちの恋の季節も終盤です。

そう言えばここは、景観もそこに棲まう生きもののスケールもとても比較になりませんが、バスに乗ってアプローチするその道すがら、キツネやシカ、それにワシなど生きものの営みが見られるのは、さながら日本のデナリNPの様相です。入り口にビジターセンター的な案内所があり、且つ終点に湖がある辺りもデナリNPのそれとよく似ていますね。ちなみにデナリNP(Denali National Park and Preserve)とは北米アラスカ州にある国立公園のことで、デナリとは先住民の言葉で「偉大なるもの」を意味し、北米最高峰のマッキンリー山のことを指します。

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パークロードを横切る世界最大のシカの仲間、ヘラジカの牡(Denali NP)

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パークロード上で昼寝するグリズリー(Denali NP)

ね、ちょっとスケールが違うでしょ(笑)。

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今日は友人からの知らせに急遽越境。今シーズン初オオと初オジロのワシ2種を確認、と言っても前者は河床から飛び立つ後ろ姿を、後者に至ってはバスの中からチラッと見ただけですが(苦笑)。北海道のように沢山飛来するわけではないので、あっちに行ってればこっちでは見られず、こっちに来ていればあっちでは見られずで、まあある意味時の運と言ったところでしょうか。

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昨日は雪雲に阻まれ眺望できなかった上越国境の山々。やはり少し雪を積み増したようですね。週末に備えて冬季用の装備群を準備した方が良さそうです。

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股引の着用は意外に早くやって来ました(笑)。今朝は越境の為、早朝に某峠を通過しましたが、朝6時半の時点で氷点下5度。道端には除雪された雪が残っており、当然路面は凍結中。昨日スタッドレスに換装しておいたのが功を奏しました。

2009年11月13日 (金)

フードコンテナ

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これが通称フードコンテナ。私が所有するものは正式には「Backpacker's Cache」と言い、バックパッカーの食料隠し場所的な意味になるだろうか。

正直なところ、フードコンテナなど観たことも聞いたこともない人がほとんどであろう。これは一体に何に使うのかと言えば、ベアカントリーにおいて、キャンパーがクマから食料を守るために使うものである。強化プラスティック製の角のない円筒形をしており、グリズリークラスの大型のクマが、力任せに押しつぶそうとしても、コロコロと転がるだけで、中身まで手を出すことはほぼ不可能。食料を素のまま保管するよりも、匂いが漏れづらいという利点もある。北米のキャンプ場などでは、頑丈な食料保管庫が併設されていることが多いが、バックカントリーなどでキャンプする場合には、この手のフードコンテナは必携である。

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北米のキャンプ場にあるフードロッカー

日本屈指のベアカントリーである知床でも、「知床半島先端部地区利用の心得(2008年度 知床国立公園利用適正化検討会議策定)」内にて、半島先端部及びその周辺において野営する場合、フードコンテナの使用を強く求めている。

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海側から見た知床岬周辺

知床では、遺産登録と並行して自然保護対象地域の核心部や岬への人の進入を制限する案が検討されてきた。実際に岬への船舶による上陸は禁止されている。しかし、半島主稜線を辿るルートや海岸線からのアプローチに関しては、今のところ規制は設けられていないため、夏季に徒歩で岬までやって来る人が後を絶たず、自然保護の観点から早急に立ち入りの制限を設けるべきとの声も多い。ただでさえ、台地状になった岬は増えすぎたシカたちの格好の餌場となっており、貴重な固有植物の群落が食害を受けて減少傾向にあるため、シカの頭数管理と植生回復が急務と言われているのだ。

今回の記事の発端は9月末のこと。まさにその知床岬へ羅臼側からトレッキングで向かっていたキャンパーが、途中の海岸にテントを張ったまま岬へと往復している間に、テントの食料をクマに襲われるという事件が起きた..一人はフードコンテナを持っていたが、もう一人は使っていなかった..のだ。レトルトカレーなどが食い荒らされた形跡があり、クマが味をしめた可能性があるため、現在は岬への出入りは自粛されている。実は7月にも同じ場所で、やはりトレッキング中に食料を狙われる事故が起きており、今回のクマはその時と同じクマではないかと見られている。

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自分で埋めたシカの死体..彼の地ではこれを土饅頭と言う..を掘り出して食べるヒグマ。クマは自分のものだと認識したものについて、恐ろしいほどの執着を見せる。過去に起きたクマによる殺傷事故の大半は、奪われた荷物や食料(含む人の死体)などを取り返そうとして、クマに逆襲されたものがほとんどである

先の立ち入り制限を設ける考えに反対する意見もある。特にアウトドア愛好家を名乗る、主にはシーカヤックなどで旅をする人たちの間では、上陸禁止に対し反対の声が多数上がっている。彼らの主張は、知床は誰のものでもない、また誰でも自由に行動できる場所であるべきだということらしい。もちろん国民共通の財産である国立公園である以上、ルールに則っての利用については、その通りであるとも言える。

しかし前述のような事故が起きるのも、結果ではあるが事実なのである。しかもそれは事前に十分想定された事態であり、あのような行為..周到な準備もせずベアカントリーに足を踏み入れる..に出れば、当然起きて然るべきであったのだ。

事故の当事者は道外の人で、事情に明るくないから致し方ないという意見もあるようだが、何をかいわんや。知らないから何をしても良いなどと言ういい加減な声が、どれだけ事後の同行為に及ぶ人たち、また関係者に迷惑をかけていることか。彼らのやったことは、知床を知り尽くし、知床の自然を守るべく日夜活動してきた先人たちの行為を踏みにじるものであり、冒涜以外のなにものでもない。フードコンテナを持っていない、または忘れてしまったなどという自分勝手な理由で、自分自身の命やその後にそこを訪れる人の命を危険にさらし、最悪の場合は当事者であるクマの命まで奪うことにもつながってゆくのだ。

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クマは我々人が作り出した極端な二面性を持つ希有な動物である。一つは、クマのプーさんに代表されるような愛玩動物としての顔。そこから来るイメージはどこか呑気でのろまな感じを受けるであろう。そしてニュース報道に登場する実際の姿と言えば、「どこそこでクマに襲われた」的な、我々人に対して危害を加えてくるという、野生動物が本来持つであろう粗暴かつ強大な強さに対するイメージ..これを凶暴と書くことでさらに悪いイメージとなる..に他ならない。縫いぐるみのクマは人は襲わない。しかし実際のクマは人を襲うこともあり得る..それとて「時と場合によっては」という前段があるのだが..という当たり前の事が、どれだけ一般に認知されていないかと言うことだろう。

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大型犬程度のツキノワグマでさえ、ひとたび怒れば人を殺傷するのはたやすい。それがヒグマともなればなおさらで、とりわけ北米大陸の北部に分布するグリズリーは巨大かつ強大だ。ツキノワグマがせいぜい大きくても120kg前後..平均すると80前後だろう..であるのに対し、アラスカ州のコディアック島に棲息するブラウンベアは、最大では700kgを超える個体もいるのだ。とても人の太刀打ちできる相手ではない..

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このキャンプサイトで事件は起きた..

私が以前、南西アラスカのカトマイにおいてキャンプした際、早朝..白夜で一晩中明るいのだが..テントの外に気配を感じ、何事かと入り口のジッパーを下げて外を見ると、目の前ほんの数mのところを、今自分が入っているテントよりもはるかに大きいクマが、それこそのっしのっしと通り過ぎて行くのを見たことがある。思い出すことさえ冷や汗ものなのだが、件のクマはこちらに一瞥くれるだけで、素知らぬ顔で湖岸へと去っていったのだ。クマが去った方向からは、注意喚起すべくフライパンやコッヘルを激しく叩く音が響いてきたが、私は恐怖でしばらくテントから出ることができなかった。もちろん食料はフードロッカーに収めてあり、何より時期的に川にサケが遡上していたので、クマたちは人にはほとんど興味を示さないのだが、このとき肌身に感じた恐怖は、ヒグマという地上最強の肉食獣と対峙したことのある人にしか理解できないことであろう。

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コンテナの蓋には「SAVE THE BEARS」の文字が。クマから食料を防ぐためのコンテナに、クマを守れの文字が印されていることの意味が、果たして事故の当事者にどれだけ理解できるものか..

※クマとの遭遇、その時あなたは..
http://bigdipper.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/post_fa9c.html

2007年12月11日 (火)

クマとの遭遇、その時あなたは..

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手前からホッキョクグマ、ヒグマ、ツキノワグマ、マレーグマ。群馬県立自然史博物館にて。

遭いたいか遭いたくないかという話は抜きにして、一般的にクマと遭遇するシチュエーションで最も多いのが、ある日突然森の中でバッタリというケースです。それは山歩きをしていてか、森の中を散策していてか、はたまた山仕事をしているときか、農村部で野良仕事をしているときか。何れにせよ、出逢ってしまった双方とも相当に驚くことになりますが、そこで万一人に何らかの被害が出てしまうと、人にとってもクマにとっても悲しい結末が待っていることになります。

接近遭遇を避ける対策としては、クマにこちらの存在をいち早く知らせること以外にはないので、クマがいそうな場所..ベアカントリー..では、よく言われてるように鈴やラジオなど音を立てることが有効です。誰かと話しながら歩くのもそれなりに効果的ですね。実際、近所の農家にも畑の真ん中に小さな小屋を造って、そこであらかじめ録音しておいたテープをラジカセで一晩中流し、鳥獣被害から一夏畑を守った人もいます。

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山岳部の倅のザックにも鈴が。

話がそれますが、音を出すことについては場所をわきまえて欲しい場合もあります。私もよく出掛ける尾瀬では、木道を歩るきながらクマ除けと思われる鈴を鳴らしている人を沢山見掛けます。大抵鈴はザックにくくりつけられていますから、一々外すのが面倒なのは判らなくもないですが、渋滞になるほど人出のある真っ昼間の木道上でクマに遭遇することまずありません。早朝や夕暮れ時、それに人通りの少ない場所を除いては、できれば鈴を仕舞って欲しいと思います。そうすればそれなりに静かな尾瀬が戻ってくるはずですので。

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冬ごもりの前に雪が降ることもしばしば。知床峠にて。

どんなに注意をしていても、それでも出逢うべくして出逢ってしまうケースもあります。クマとの距離が離れている場合、特にクマがこちらに気付いてなければ、静かにその場を立ち去ることが肝要です。写真を撮ろうなどと、わざわざこちらか近づくなどしてはいけません。もし距離が離れていてクマもこちらに気付いているようならば、大声を出したり、大きな音を立てたりしてこちらの存在を明確に教えましょう。クマは鼻はよく利きますが目は良くないので、こちらが風下の場合など気が付かないことがあるのです。

そして近距離で接近遭遇してしまった場合。そんな時はとにかくまず落ち着くことです。どんな状況であってもクマを刺激してはいけません。大声を出す、大きな音を立てる、いきなり走って逃げる..クマが全速力で走ると時速60km程度は出るので、走って逃げることは不可能..などは、もっともクマを刺激し最悪は怒らせてしまうことになります。

決して目をそらさずゆっくり後ずさり、クマから徐々に遠ざかってください。もし置いてある荷物等をクマに奪われたら、中にどんなに大切なものが入っていようとも、キッパリ諦めてください。絶対に荷物を取り返そうなどと考えてはいけません。クマは一旦自分のものと認識したものにはかなりの執着を見せるので、取り返そうとすると奪われと思いこみ、途端に逆襲してきます。70年代に北海道の日高山脈で起きた熊害事件では、ヒグマに取られた荷物を取り返そうとして、大学生3人が命を落としています。

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アイルソンビジターセンター(Denali N.P Eielson V.C)のグリズリーの頭骨。

よく木に登って逃げる..木に登った時点で行き止まりですが(笑)..という話も聞きますが、これはあまりお薦めできません。北海道や大陸に生息する大きなヒグマはあまり積極的には木に登りませんが、小型のヒグマやツキノワグマ、それに北米に生息するクロクマなどは木登りが得意なので、よほど進退窮まったとき以外はかえって危険です。ちなみに私の友人に、クマから逃げるべく木に登ったものの、そのクマが木に登ってきてしまい、クマの写真を携帯電話のカメラで撮った強者がいますが、絶対に真似をしてはいけません(笑)。

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知床のクマ対策で使用中のゴム弾と花火弾。

いよいよ逃げ場無くクマに襲われてしまった場合はどうするか。これはもう二者択一になります。一つは抵抗せずに為されるままにすることです。以前に北米のアラスカ州にあるカトマイ国立公園のレンジャーに言われたのが、「両手を首に回して頸動脈を守りつつ、ザックを背に地面に伏せて丸くなり、クマが立ち去るまでひたすら待つ。」という方法です。そうです、いわゆる「死んだふり」というやつですね。クマがさほど怒ってなければ、手や足を噛まれることはあるかも知れませんが、その内諦めて立ち去ってくれる可能性はあります。

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アラスカ大学博物館(University of Alaska Museum)で出迎えてくれるグリズリーの剥製。優に3mは超えている。

そんなクマ任せ運任せは嫌だという人は、もう一つの選択肢である、戦って撃退する以外に手はありません。格闘家や血の気の多い人ならば、40~50kgクラスの若いツキノワグマ程度なら何とかなるかも知れませんね。その時、鉈や山刀(ナガサ)等の武器になるものを携行していれば、多少希望の光は差すでしょう。しかし成獣のクマ、それもヒグマになるとまず勝ち目はないでしょう。何しろ北海道の雄のヒグマは成獣で200~300kg、アラスカ州の沿岸部に生息するブラウンベアなどは500~600kg..中でもコディアック島の個体は世界最大で約700kg!、話は飛躍しますが、ホッキョクグマに至っては600kg以上あり、もう何をかいわんやですね。

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調査には必携のカウンターアソルトと鉈。

鉈や山刀による肉弾戦は嫌だという場合、クマから身を守る護身用の道具として、近年脚光を浴びているのがカウンターアソルト、通称「クマ除けスプレー」です。中身は赤トウガラシのエキスを抽出した強力カプサイシン入りのガス..いわゆる催涙ガス..で、これを浴びると目や鼻それにのどは無論のこと、皮膚に付着しても強い刺激を受けるため、クマの攻撃性を減退させることができます。クマ除けと聞いて虫除けを連想、山に入る前に自分の体に噴射した人がいるとかいないとか..と言う冗談はさておき(笑)、奥山放獣の現場ではすでにその効果が立証されており、スプレーを浴びたクマが苦しそうな声を上げて、脱兎の勢いで森へ逃げ帰っていく様を何度か目にしています。

しかし、スプレー方式ということからも判るとおり、クマに決定的なダメージを与えるためには、クマに対し風上から5~7m程度まで近寄る..状況的には相手から近寄ってくるから使用するわけだけど(笑)..必要があります。しかも強い噴射が続くのはせいぜい5秒程度なので、1回使って終わってしまえばそれっきり、つまりチャンスは一度きりということです。激しく威嚇しつつ突進してくるクマに対し、果たして冷静にスプレーを噴射できるものなのか、使う前によく考えた方が良いかもしれません。

10年くらい前までは国内でほとんど見掛けることの無かったクマ除けスプレーですが、最近は街のアウトドアショップに普通に売られており、そのせいか何の変哲もない一般の人が持っているのを時々見掛けます。そして困ったことにクマ除けスプレーを持っているというだけで安心してしまい、ベアカントリーで大胆な行動に走ってしまう輩がいるのもまた事実です。カウンターアソルトなどクマ避けスプレーは、事が起きてしまった後..つまりクマに襲われるという事態..にしか使い道がないので、本当に最後の手段になることを肝に銘じて行動して欲しいものです。

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ヤマブドウの実を食べるヒグマ。知床の森にて。

私も調査や撮影でベアカントリーを歩くことが多く、実際にクマに出遭うことはそう希なことではないので、普段から森歩きでは注意するようにしています。もちろん目には見えずとも、山や森にクマがいると思うことで畏怖の念を抱くことができ、傲ることなく謙虚な気持ちで山や森に入ることができると考えています。

2007年9月27日 (木)

星のような物語

仕事の関係で久しぶりに上京してきました。

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出張の傍ら、昨年は足を運ぶことができなかった星野道夫氏(故人)の写真展..松屋浅草店で10/1まで開催中..を友人と見てきました。久しぶりに氏の大伸ばしの写真を間近に見ることができ、北方志向者としては極北のエネルギーをしっかり分けてもらった気がします。ただ、展示写真のレイアウトの仕方と、展示場所の狭さにはいささか疑問を感じましたが。

昨今の雑誌に見られる野生動物の写真には、メッセージのない薄っぺらい写真が増えてきているように思います。その点、極北の地ではるか昔から綿々と繰り広げられてきた生命の営みを、しっかりとフィルムに焼き付けてきた星野氏の写真には、生命とは何か、そしてどこから来てどこへ向かうのか、といったテーマの奥深さと、表現者としてのメッセージを強く感じます。

氏の写真もさることながら、今回一番興味があったのは最後に展示してあった氏のフィールドノートです。星野氏のたぐいまれなる文筆家としての才能は評価の高いもので、数々の珠玉のストーリーを残していますが、まさにその下書きとも言うべき、現場で書き綴った生々しい文章を、できうるならそのままの状態で読み解いてみたいものです。

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6月の上京の際は玉砕したバーガーキングですが、今回は労せずして食べられました。前回アラスカに行った時以来なので、ちょうど3年降りになります。たかがジャンクフードだろうとバカにしてはいけません。私にとってバーガーキング=アラスカなのですから(笑)。

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二次会は友人宅にて。DVD「星のような物語」を肴に、友人が長野で仕入れてきた「じょう献(じょうは酉と農)」をいただきました。これ一応日本酒なのですが、アルコール度数が38.5%もあり、ちょっと調べたら日本酒の中では最も度数が高いようです。飲み口もそのままだとブランデーのようで、ロックか水割りにして飲むと結構いけました。

Caplio R6

2007年9月20日 (木)

Gallery「アラスカ」

20070920

ウェブサイト The Northern Wanderer の Gallery「アラスカ・極北の風」に、作品を追加しました。

The Northern Wanderer はこちら↓
http://tnwanderer.web.fc2.com/

2007年9月12日 (水)

9.11と言えば

昨日ニュースを見いて、6年前に米同時多発テロが起きたことを思い出しました。直接9.11とは関係ありませんが、続けて思い出したことを3点ばかり。

01年の秋、アラスカ取材を行うべく準備を整え、エアーもシアトル経由アンカレジ行きを押さえました。が、渡航前には終わるはずだった仕事にキリが付かず、仕方なくその年の取材を諦めたのですが、そこで起きたのが9.11テロ。実はアラスカに取材に出掛けていれば、帰りの便は9月11日アンカレジ発だったのです。エアーはノースウエストだったので、ハイジャックされた航空会社ではありませんでしたが、もし当日米国にいれば、間違いなく2・3日足止めを食らっていたわけです。いやはや。

2つ目は02年の秋のこと。その年の夏のうちに用意周到に仕事の段取りを済ませ、何とか無事にアラスカ取材に出掛けました。現地で2週間ほど過ごしたある朝、デナリ国立公園のビジターセンターで、シーズン最後のワンダーレイク行きのシャトルバスのチケットを買おうとしていたところ、センターのスタッフの合図と共に、居合わせた人々が皆で黙とうを始めたのです。時計に目をやると時刻は8時50分ちょっと前。そう言えば今日は9月11日であったと合点がいき、私も慌てて黙とうを捧げました。

3つ目は2つ目の続き。アンカレジ空港から帰国の途につく際、当時はまだフィルムでの撮影であったため、搭乗前の手荷物検査でハンドチェックを頼んだ..テロの影響でX線検査が強力になったので..のですが、すると奥から見るからに屈強なマッチョな係官が現れ、私に近くの部屋に入れとあごで指示します。部屋に入るともう一人係官..150kgはあろうかという巨漢で、違う意味で屈強(笑)..がいて、荷物を全部出して服を脱げと言うではないですか。1人が何やら棒状の計器のようなもので私の全身をチェックする間、もう一人は500mmの望遠レンズなど大量のカメラ機材をチェックしつつ、「某国のスパイじゃないだろうな」などという、冗談とも本気ともつかないセリフを吐く始末。よもやこのままシアトルでなくラングレーに移送されるのではないかと、冷や汗を流した記憶があります(苦笑)。

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シアトルタコマ空港にて。9.11テロの日、欧州から米国へ向かう多くの便が、アンカレジ空港に足止めされたそうです。NYへ向かったはずなのに、窓の外にはイヌイットの顔をペイントした旅客機が沢山駐機していて、さぞ驚いた人も多かったでしょうね。垂直尾翼のイヌイットの顔は、アラスカ航空のマークです。
Nikon COOLPIX 5000

2007年4月25日 (水)

トウキョウトガリネズミとノーム

先頃新聞でトウキョウトガリネズミの保護に向けて、東京の多摩動物公園と北海道の浜中町とが提携したという記事を目にしました。トウキョウトガリネズミは体長5cm、体重はわずか2グラム..しっぽを除く体のサイズは十円玉ほどしかない!..の世界最小の哺乳類として知られ、国内での生息地は北海道の道北と道東の一部に限られています。環境省のレッドデータブックでは絶滅危惧2類にも指定されている、モグラ目/トガリネズミ科の貴重なほ乳類です。

話の主題はその生態にあらず、名前の由来です。生息地が北海道なのになぜ名前に「東京(トウキョウ)」が付くのでしょうか。トウキョウトガリネズミは明治時代に英国人の学者によって北海道で発見されたのですが、その際に標本ラベルに「蝦夷(エゾ)」と書くべきところを、間違って「江戸(エド)」と記されたことに起因するのだそうです。つまり、トウキョウを意味するエドではなくエゾの誤記だったわけですね。

その後は東京近郊で発見されることなく(当たり前ですね)、長らく謎の生きものだったようですが、50年代に北海道でその存在が認められて、初めて名前の間違いに気付いたというわけです。もちろん一度付いた名前の訂正が行われることはないので、トウキョウトガリネズミのまま現在に至っています。

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このトウキョウトガリネズミの記事でふと思い出したのが、ベーリング海に面したアラスカ州西部の町「ノーム(NOME)」です。ノームは、1850年代に英国海軍の士官が地図を作成した際、ベーリング海に突き出した岬の名前が判らず、とりあえず「Name?(名前は?)」と書いておいたのを、後に別に人が製図化する際に「Nome C.」、つまり「Cape Nome(ノーム岬)」と勘違いしたのが由来なのだそうです。

方や生きものの名前、方や地名とそれぞれで状況は異なりますが、当初の命名の間違いがその後も訂正されずに現在に至るものとして、少々つながりめいたものを感じた次第であります。

2006年11月 9日 (木)

初霜とANWRの行方

朝、玄関を出た途端に寒気が身を包み、吐く息で視界が白くなりました。寒暖計に目をやると0℃。ララァの水飲みバケツにうっすらと氷が張り、庭も霜..例年よりは1ヶ月近く遅い..で一面真っ白けです。先日北海道で猛烈な竜巻被害をもたらした寒冷前線により、日本海に引き続き寒気が入ってきており、その影響で今朝の赤城高原は放射冷却になったようです。

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EOS30D EF50/2.5 COMPACT-MACRO
ISO200 Picture Style「忠実設定」
(データ共通)

昨日のアメリカ中間選挙報道で、久々に民主党の躍進が報じられました。やはりイラク問題が主たる争点のようで、遅まきながらアメリカ国民の民意が動き出したと言えるのでしょう。さて、戦争と言う愚行に嘆くのは当然としても、その影に埋もれてなかなか脚光を浴びない現実として、自然環境保護の問題があります。とりわけ北方志向者として私が特にその成り行きを注視しているのが、アラスカの北極圏野生生物保護区(ANWR)の石油採掘問題です。

ANWRの開発はアメリカのエネルギー戦略と複雑に絡んでいて、前クリントン民主党政権時代にも採掘検討されましたが、写真家星野道夫氏の友人でもあった自然保護運動家のシリア・ハンター女史(故人)らの行動によって、一時的に無期限凍結されていました。それが現ブッシュ共和党政権になってから、イラク問題をすう勢とする中東情勢に絡んで何度と無く上院下院の予算案に開発案として盛り込まれてきたのです。

もしこのまま放っておいてなし崩し的にANWRの開発が進めば、将来に渡ってアラスカ北極圏の生態系に取り返しの付かない事態になってしまいます。人間の生活の豊かさとは切っても切れないつながりのあるエネルギー資源問題ですが、未来の子供達に残さなければならないかけがえのない自然と天秤にかけるのは、現代に生きる我々の傲慢と言っても過言ではないでしょう。

今回の中間選挙で優勢の民主党は、開発優先の共和党..の中にも開発反対派は多い..に比べ、どちらかと言えば保護に重きを置いた政策を持っています。とは言え、国家のエネルギー戦略の名の下、いつ政治的な駆け引きの中で、石油埋蔵というパンドラの箱が開けられてしまうのかという点については予断を許しません。引き続きアメリカ国民の英断に期待したいところです。

2006年9月 9日 (土)

Gallery「アラスカ」

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ウェブサイトのGallery「アラスカ・極北の風」に秋の作品を追加しました。

ウェブサイト The Northern Wanderer 本館 はこちら↓へ。
http://bigdipper.cool.ne.jp/